国田は昭和六十三年三月下旬の土曜日に就任の挨拶のため、尾因市医師会立看護専門学校を訪れた。国田は簡単な挨拶をして、副学校長兼教務主任の藤本と他の専任教員を一瞥し、これからは私の指示通りにして欲しいと言わんばかりの顔付きで「皆さん、これからは私にご協力をよろしくお願いします」と言った。

藤本から簡単な引継ぎを受けている最中に学校長を兼務している村山医師会長が現れた。村山は日焼けした顔で端正な容姿ではあるが、酒を飲むと言葉遣いは備びん後ご弁丸出しで初対面の人も親しみが持てる男である。

「こんにちは国田さん、この新しい学校の運営をよろしくお願いしますよ。私は耳鼻咽喉科の開業医をしていますが、尾因ゴルフクラブの理事長も兼ねていて多忙ですので、貴女にお任せすることが多いかもしれませんが、とにかくよろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「私は尾因市の教育委員長もしていて、学校教育にも縁があります。この学校は、今年第三期生が入学しますが、まだ、卒業生を出していません。定時制ですので、二年後には第一期生が看護師国家試験を受験しますが、国田さん百%合格を目指して頑張って下さいね!」

「私はこの度、皆様のお力添えで教務主任という重責を果たしていこうと思っています。皆様方のご協力をお願いします」

「国田さん、尾因での食事は勿論初めてでしょうね。昼食は瀬戸内海の美味しい魚料理でもご一緒しませんかね」

「私とですか」

「いや、ここにおられる皆様と一緒にお願いしますが、もうすぐ昼食の時間なので、全員よろしいでしょうかね。えーと、ここにいる六人と私とで七人になるね。それから医師会の学校担当理事兼副学校長の(ひさ)(ふね)定男(さだお)先生も呼んで、八人で会食しましょう」

村山は、有無を言わさずに親分肌らしいところを見せつけて強引に決めてしまった。

村山は国田ら七人と尾因市の老舗の日本料理屋「南山(みなみやま)」へ行き、二階の和室で魚料理のコースを注文した。全員が新鮮な魚介類の刺身料理やオコゼのから揚げなどに舌鼓を打ち、楽しい一時を過ごした。

尾因市は港町で八百年以上前の中世の昔から栄え、江戸時代には北前船が寄港した地であったことから、回船問屋や商人による神社仏閣への寄進も盛んで特にお寺の多い街である。

村山は久船副学校長を紹介してから、国田に言った。

「これからは、学校のことでいろいろと相談することがあると思うが、まず、何でも久船副学校長に相談して下さい。重要なことは私が決めますがねぇー」

久船と国田は今日が初対面であった。久船は国田の年齢を三十五歳前後と想像しつつ、超美人ではないが美人と言う人もいる程度の顔立ちを見て、目元がやや鋭い感じであったので勝気な性格を見抜いていた。また、十数年以上大阪にいたにもかかわらず、何故国田が大阪弁を使わないのか不思議に思っていた。直感で国田は猫をかぶっていると思ったのだ。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『【文庫改訂版】女帝看護教員』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。