「価値がない女がいつまでもうちの中にいたって邪魔で困るんですよ、先生。早いところ自立させてやってください」

聞いた話の内容といい、この母親の態度といい、驚きの連続であった。娘の葛藤は、母のように男性に仕えて男性を操作するということができないことにある。母の言うことはその通りだと思うが、男性は暴力をふるうから怖い。一方で男性は親切にしてくれるから、付き合える。でもセックス目当てのような気もする。女性は自己中心的で仲良くなれない。いつ自分の都合であたしを裏切るかわからないから怖い。

〈優しい男性を見つければ解決する問題ですか。ずっと男性に頼って生きていきたいですか。お母さんは、男性に頼るようにも見えるし、自分の生き方を持っているようにも見える。そのように生きていきたいですか〉

「母のようには無理です。そうしたくもないです。普通に生きたい。女にも価値はあるんですよねぇ?」

〈では、あらためて女性カウンセラーと、女性の普通の生き方を考えて普通に生きる練習をしてみませんか〉

むろん、母にも介入しておかねばならない。

〈娘さんは普通の生き方をしたいとおっしゃっています。生きる価値のある人間として〉

「わたしの生き方は普通ではない?」

〈いえ、お母さんの普通と娘さんの普通は違うのだと思います。あなたのような生き方は、あなた一代のものかもしれません〉

母親は次のようにつぶやいた。

「時代ですかねぇ」

”時代”かもしれない。だが、そもそも女に価値がない”時代”が間違っていたのだ。”時代”に翻弄されたといえるかもしれないこの母親も、犠牲者だったのではないだろうか。