来栖は葛城と同じ口調でコメントを差しはさんだが、この日も話しているうちに彼の意見に反対のことを言ってみたい気持ちが出てきた。

「クレネクとシェーンベルクの対立については全く知らなかったんだけど、面白い逸話だと思うよ。二人の評価が割れたウィーン古典派のロマン主義というのかな、それとも古典派からロマン派への移り変わりというのかな、まあ分類分けなんてそう大事なことじゃないよね。

それで元の話に戻ると、ベートーヴェンとシューベルトということになると、これはもう僕個人としては前からずっとシューベルトが好きだった。

勿論これは好き嫌いの話で、作曲家の偉大さとかいう話になるとまた話は違ってくるよね。でも僕はこの面でもベートーヴェンとはまったく違う独特の曲想を生み出してるし、やっぱり心情的にはシューベルトも偉大だと言いたいね。

今日の演奏との関連で言うと、ウィーンのクラシックの根底に流れる暗さというのかな、そのほうはウィーンの古典派やロマン派からずっと後の時代の作曲家だけどシェーンベルクも共有していると思う。それが今日の演奏ではよく表されていたんじゃないかな。

能天気で神々しいナイーブさというの、あのモーツァルトの明るさでも、暗くてジメジメした要素をたくさん持ってるわけだし、これを評論家はデモーニッシュとかなんとか言ってる訳だけど、このモーツァルトの暗さというものとも違うし、それにシューベルトやベートーヴェンのものとも違うし、今日の演奏を聞いた限りではシェーンベルクの暗さって、独特のものがあるね」

来栖は何かわけの分からない話も入れ込んでしまったようだと自身で気づいた。しかし他の二人は彼の話に不自然なところがあったなどとは思わなかったのか、あるいは気づかなかったのか、自然な流れで三人の会話は再び真理の発言に戻っていった。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『ミレニアムの黄昏』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。