真光にて 自身の穢れ

自分自身が穢れていると考える人がいるだろうか、いたとしても極めて稀ではないだろうか。内から綺麗にならなければと思い阿含宗に入信したのは確かである。しかし自分が穢れているとか、汚れているとかはついぞ考えたことはなかった。

私はこんなに汚れ、汚い物を纏っていたのかと思い知らされたことがある。

道場でお浄めを受けるときは手の空いた人同士がペアになり、お浄めの受け施しをする。

この人からお浄めを受けたいとか、この人のお浄めをしたいとかはないのである。

私は関西方面指導部長が道場長を務める阿倍野道場に所属していたので、幾度となく指導部長である工藤氏からお浄めをいただいたことがある。道場の中では部長とか指導部長の呼称を使われることはほとんどない。専属幹部同士の会話のときぐらいである。

或るとき道場長から額のお浄めを受けていたときのことである。

瞑目合掌しているので何も見えず暗闇である。暫くすると目の前がどう言えば良いのか、意識の中でと言えば良いのか、周りが明るくなり、黄金色に変わった。黄金色の光の中で正座している後姿が黒っぽく浮かんできた。

私が自分の後姿を見ていると感じるのに時間はかからなかった。

自分の姿と思ったとたんに前方からすごい風が吹いてきて、正座したまま後ろに大きくのけぞるほどである。黒っぽい私から古びた紙が風に煽られてちぎれて飛ばされるように後ろに飛んでいく。

のけぞって我慢している間、どれほど私からとび散って行ったであろうか。

思わず、「すごいすごいもっと吹いてくれ」と叫んでしまった。

すると風はぴたりとやんでしまった。

あとは黄金色の光の中に黒ずんだ後姿だけが見え、御静まりの声で目を開けると御神前でお浄めを受けている何時もの風景があるだけである。このような体験は此のとき一回だけである。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『市井の片隅で』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。