この万博会場は人工の場なのにとても景色が良い。空中をゴンドラが動いていて、スマートに風景を引き締めている。何よりも敷地の東半分以上を占める原始的な森林が穏やかな雰囲気をかもしだしている。

どんなに大勢の入場者が歩こうと静寂であり、騒音というものがない。実に巧みな設計である。そして信号もなく排気ガスを出す車も通らない。人はひたすらノンビリ歩ける。愛・地球博は原始と未来が融合した不思議な人工楽園であった。

そして子供たちにとって、あの時期は日本中で最も楽しい遊園地であった。ニュージーランドのマオリ族の、隈取りの顔から舌を出して叫ぶ「ウォークライ(戦いの叫び)」を見た子供は一生頭に焼きつくだろう。実物を見ることは最高の国際教育である。紀子さまや、体調優れぬ雅子さまもお出でになったのだった。

この盛況は当然ゲートや有名パビリオンの前に長い行列を作った。日本館で、私の前にいた少女二人は岡山から来て、前夜はゲート前で野宿をしたと聞いて感動した。そんな状況が川柳で「待つことが愛だと知った地球博」と詠まれた。

故木村尚三郎氏は万博の成功を端的に三点で理由付けている。

1.緑に囲まれた万博

2.文化に彩られた万博

3.歩くことの喜びを感じた万博

大阪万博が日本興隆期の輝かしいシャンデリアとすれば、愛・地球博は宝石を沢山含んだ原石のようで、未来にこそ一層光を放つ。そして元気な愛知、元気な名古屋を目のあたりにして、日本全国がこの地方に高い評価を下したのだ。(二〇〇五年〈平成十七年〉八~九月記)

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『21世紀の驚くべき海外旅行II』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。