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1998年7月17-19日(金-日) モン・サン・ミシェルおよびヴォ・ル・ヴィコント城見物記

-奇跡の海中修道院と、宮殿建築の原型-

3月のリヨン紀行、パリ再訪紀行の時からの懸案であるモン・サン・ミシェル観光がようやく実現しました。木・金とパリ支店出張があり、金曜日夜セーヌ川クルーズ、土曜日モン・サン・ミシェル、日曜日にヴォ・ル・ヴィコント城を観光してきました。

モン・サン・ミシェルはブルターニュ半島、ノルマンディー半島の境界上の海中に聳え立つ島で、その中は修道院とその城下町になっています。中世初期のフランスの学問の中心地でもあり、その特異な自然景観と文化的重要性から世界文化遺産に登録されています。

ブルターニュは最近のメールで話題の中心となっているケルト文化のフランス側の中心地ですが、フランス観光の問題点である英語が通じない、英語の表示、資料が無いためメールで提供するような情報は集められませんでした。どなたか詳しい方がいれば教えてください。

私の限られた知識で面白いのは、ブルターニュがブリテン人から来た名前で、グレートブリテンは大陸にあるブリテン人の小さな土地に対し大きなブリテン人の土地という意味(注1)だそうです。

モン・サン・ミシェルからは英仏海峡越しにグレートブリテン島が見え、この距離ならノルマンディー公ウィリアム(イングランド王ウィリアム1世在位1066年~1087年)がイングランドを征服すべく海を渡ろうとした気持ちも分かります。

国家公務員(警察庁)のBさんから地政学的な見方を教えてもらいましたが、イングランドのヨーロッパ大陸そして全世界的な覇権確立には狭すぎずまた広すぎない英仏海峡の存在が貢献していたように思います。


注1:英米法担当の大学教授Iさんによると「グレートブリテンというのは、イングランドがスコットランドと法的に統合国家になったときに、新しい国家の公式名称として採用して以後のことだと思っていましたが、ラテン語に大きなブリテン Britannia major という言い方があったかどうか。

小アジアはあっても大アジアがないように、小ブリタニアはあっても(実はそれのラテン名も聞いたことはありません)、大ブリタニアはなかったのじゃないかと思うのですが、いつか調べてみます。Britannia minorという表現が仮にあったとしても、この『小』は、こっちに近い方の部分、という程度の区別接頭辞で、大小の観念的区別によるものではないような気がします。

ローマ人が、ブルターニュをブリテン島の外にある出先の土地と思ってブリテン島を本体と捉えた、ということはないでしょう。先に出会うのはブルターニュの方ですから」。

ネットで調べた結果は以下の通りです。

「ブリトン人は前1世紀頃からローマ共和国、ローマ帝国、アングロ・サクソン人の相次ぐ侵攻を受けて、その一部がフランスに逃れる。フランスではブリトン人の住むようになった地域を『ブルターニュ』と呼び、本来のブリタニアを『グランド・ブルターニュ』と呼んで区別した。ヨーロッパの地名は、近い方を『小』、遠い方を『大』とする慣習がある。これが英語に輸入され、英訳された形の『グレートブリテン』という地名が定着する。」