私が死んだら、三歳年下の夫にはぜひ再婚をしてほしかった。

そしたらきっと子どもが生まれるだろう。そんな状況の中で、やんちゃすぎる長男が素直に育つとは思えなかった。兄弟がいたら、二人で複雑な心理状況を共有し、支えあって育ってくれるだろうと思った。たとえ無謀でも何とかなる。ゲーテの『色彩論』が私を支えてくれた。身近にいる独身で、夫と結婚してくれそうな人を心の中で探したりして、私は出産に臨んだ。今思うと、何と無責任なことを考えていたのだろう。当時、『自然治癒力を活かせ』と題した一冊の本に出会った。

木更津に運動と漢方薬と一日玄米菜食一食という厳しい鍛錬で様々な病気を治す不思議な病院があった。小倉重成という禅僧のような老医師は、千葉大の眼科の医師でいらしたが、べーチェット病等の難病を治すことに心血を注がれ、独特の治療法を確立された方だった。長男を連れての子連れ入院を許可してくださり、五回入退院を繰り返すうちに、ステロイドを止めることができた。包帯を巻くほど重症のアトピー性皮膚炎の高校生が、一週間で肌がすべすべになっていったことに驚いたこともあった。

わんぱく息子は、廊下を走り回り、ガラスを割ったりして大変だった。ある日、玄関に靴を脱ぎ捨てたのを先生に見つかり、大声で怒鳴られた。「靴をこんなふうに脱ぐような子どもを持つようでは、母親として失格だな。ちゃんとしろ!」と。

相当な怒鳴り声だったが、こんなふうに本気で叱ってくれる人に出会ったのは初めてだったので、私は感激した。

そして先生は、「刻苦光明必盛大也」という不思議な言葉を教えてくださった。その言葉の由来は聞けずじまいだったが、病院で知り合いになった京都の女性の御主人である書道家が表装までしてくださり、我が家の玄関の入り口に燦然と輝いている。書も言葉も見事過ぎるし、私は一日一食に耐えきれず、その後脱落してしまったので、掛け軸は近くてあまりにも遠い。

小倉先生との出会いがなかったら、次男を生むことができなかったと思うと、有り難い出会いであった。また、あの時期、不思議な精神的な安らぎの中で、子どもを生めたのだからかけがえのない恵みであった。

残念ながら、先生は次男が生まれてから亡くなられた。妊娠中不安になって一度電話をしたら、大声で「バカヤロウ!」と怒鳴られたことがあった。

時々、あの優しい「バカヤロウ」を思い出すことがある。

当時、膠原病患者は、胎児の突然死を招くことがあるから、その覚悟をしておくようにとも言われていた。でもそんなことは絶対ないと信じていた。私に宿った小さな命の心音を聞きながら、母は必死に祈るのだ。母は強いのだ。たぶん、男性にはわからないだろうある強さを女は授かる。命がけになれるのだから。出産後、溶血性貧血を起こして親子ともども、長期の入院を余儀なくされたが、我が家にもう一人新しい命が誕生した。

長男の時とはまた違う、母になった特別の喜びを味わった。

長男は当時五歳。妹が欲しかったらしく、「さおりちゃん」なんて勝手な名前をつけ、スーパーでピンクの箸をせがみ待ち望んでいたのに、次男の顔を見て「な~んだ。男か」と困った顔をした。その顔がおかしかった。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『永遠の今』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。