【前回の記事を読む】死を予期する老人を変えたのは、忘れていたはずの恋心だった

風のいざない

家に帰りたい。体力を回復させよう。まずベッドから降りることだ。トイレに行くにも苦しい。呼吸が乱れる。負けるものか、少しずつ歩く回数を増やしてゆく。

生きようという精気が蘇ったのか、脚が一歩一歩前に出るようになった。トイレの行き帰り、廊下を遠回りして、歩く距離を少し延ばしてみる。何とか部屋まで辿り着けた。

毎日少しずつ歩数を増やしてゆく。廊下の奥に上階に行く階段があった。手すりに縋り付き点滴の管が伸びる範囲で上り下りをしてみる。看護師さんが無理しないでねと心配顔で見守ってくれていた。

少しでも動いたせいか食欲も出てきた。退院を目標に食欲がなくても完食するように努めた。おかげで点滴も中止され、管から解放された。

とにかく家に帰る。そうして最後の望みは、もう一度故郷の山をこの目で見たい。人間どんな状況でも目標を持つと、どこからか力が湧いてくるもののようだ。

「顔色が良くなったなあ」

訪れた息子も安堵する。宗助の退院願望はますます強くなってきている。歩く。とにかく病院内をくるくると回ってみる。階段を上り下り、外の空気も吸った。

息子は顔を見せるたび退院の見通しをしつこく聞かれ、困り果てていた。息子は主治医に呼び出された。新たにリンパに癌の転移が見つかったという。八十五歳の高齢では温存療法しかなく、もう長くはないでしょうと宣告された。このことを息子は本人には伏せた。故郷に行きたいと懸命な宗助に本当のことを言うのは酷すぎた。

自宅に近い町医者に転院した。ときどき急に呼吸困難になり酸素吸入を必要としたからだ。宗助の妻は昨年他界し、宗助が退院しても不動産屋の事務所兼住居にしている戸建ての家に一人暮らしに。在宅介護の見通しはまったくない。息子自身も晩婚で子どもも幼く、共稼ぎだったから一日でも長くおとなしく入院していてくれないかと願う。

介護保険などの手続きもまだ済んでおらず、厄介だった。宗助は強引に退院した。医者も最後は自宅が良いだろうと、無理に引き止めなかった。息子がスーパーから惣菜や冷凍食品を毎日買い置きしてくれたが、炊事、洗濯などの家事は宗助がした。介護申請に手間取り、ヘルパーの訪問介護を受けるにはまだ時間がかかりそうだ。

少し動くと息が苦しい、疲れがどっと出る。リビングのソファに横になって休む。テレビが時計代わり。テレビで『千の風になって』という写真集の紹介をしていた。苦しい息を吐きながら画面を眺める。故郷の景色に似た美しい光景に同名曲の歌詞がテロップで出る。

宗助はこの歌を初めて聞いた。作者不明だというこの歌。自然は精霊で守られ、命は再生され、輪廻転生する。死者はまず風になり大空で吹きわたっている。宗助は永遠の命など信じていなかったが、今はなぜか心が癒され安堵する。似た話をどこかで聞いた気がするが。