すると、日向が立ち上がって、望風の方へ歩み寄ってきた。望風をさらに溶かしてしまいそうなきれいな顔立ちで、両手に持ったアイスコーヒーの片方を、望風に差し出す。真顔で黙って差し出すから、望風はそのまま見とれていた。 

「座ろっか」

と日向が言うまで、望風にとっては時が止まっていたようだった。やっとで頷いて日向の左側に座った。座ったままの二人の後ろ姿は、夕暮れの広大な海を背景にして、まるで絵画のように美しかった。切なさやもどかしさや緊張感を、二人の距離から感じ取ることができる。日向が、急に誘ったことを申し訳ないと話し、デビューが決まって多忙になりつつある望風の生活と体調を気遣ってくれた。 

「海ひさしぶりなんだよなー」

と言うと、日向は立ち上がって階段を下り始めた。下りきると砂浜にたどりつく。 

「もかちゃん、ちょっと歩かない?」

そう言って、望風を手招きする。望風は、重めの空気が軽くなっていくのを感じた。望風は、日向が思いがけない行動をとってくれたおかげで、緊張がほぐれ、距離が少し縮まったような気がした。望風は、階段を早足で下りた。日向が海側を歩き、その右側を望風が歩く。望風が、ちらっと日向を見ると、日向は、海を眺めながら歩いていた。日向の肩が大きくて、望風は、守られたいと思ってしまった。その時、ふいに日向が望風の方へ振り返ったので、望風はなんとなくうつむいてしまった。日向は何も言わなかった。再び海の方へ振り返り、歩いた。

二人でただ、歩いた。一周してまた、もとの場所へ戻った。望風は、このままずっと一緒にいたいとさえ思ってしまった。でも、日向は、望風に何か言いたいことがあるのではないかと感じていた。日向は、望風と二人で歩いたこの時間が、言葉を交わさずともわかりあえた、口には出せないけど感じあえた、これから先、二人の未来の決断に必要な思い出になるような気がして、話そうと思っていた話題は、言い出さなかった。

ただ二人で砂浜を歩いただけのこの時間は、信じるということをあきらめられなくなる理由となるだろう。手をつながずとも、そうなるだろう。人は信じるということが出来てしまう。望まずとも出来てしまう。出会いさえすれば。いや、出会わずとも出会うことを信じてしまう。きっと叶う。そんなことをふたりとも思っていた。二人の出会いに二人とも自信が持てただろう。 

「おくるよ」

帰りたくないと、望風は思った。わがままを言えるような関係でもない。日向にわかるようにして、残念な顔をしながら、

「はい」

と言ってみせた。日向は、それがわかって、望風を抱きしめたくて、でも、必死でその感情を拳とともにおさえこんだ。望風が可愛かった。もう、引き返せないかもしれない……動き出した自分の気持ちを確信した。触れたい。お互いそう思っていた。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『KANAU―叶う―』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。