風が吹き抜け黄色のじゅうたんを揺らす。宗助に気付いたアキがこっちに来てと手招きしている。宗助はゆっくり近づく。自分がアキを好いていることを悟られないように、無関心を装って。

アキはそんな宗助の心の計らいなど気にも留めず、近づいた宗助の手を取り、その場に立たせ、背伸びしてたんぽぽの花の冠を宗助の頭に乗せ、満足気に頬笑む。と、唐突に抱き付いてきた。「なぜ?」と心の中でつぶやく。

アキは「いいの、いいの」と目で言い、「好き」と宗助の胸に顔を埋めた。俺もお前が好きだと抱きしめたとき、目が覚めた。至福の夢だった。アキを抱きしめたとき、身体のぬくもりまで夢の中で感じていた。

幼いころ、アキのことが気になり、しょっちゅういたずらをして泣かせていたが、やはり好きだったのだ。初恋というには幼すぎる年齢。アキから好きと言われたことなどないし、今では彼女がどうしているかさえ知らない。自分の胸の内に埋もれ、忘れていたはずなのに。明日がわからない事態になって、芽吹いてくるとは。

死期を予感し始めたせいだろうか。最近見る夢は幼いころの懐かしい原風景ばかり。決して恵まれた少年時代だったわけではないのに。啄木がふるさとの山はありがたきかなと詠ったように、朝に夕に眺めた山々を思い出すと心が癒されていく。この年になるまできれいごとばかりではなかった。

えげつない仕事もしたし、女も一人や二人は泣かすような仕打ちをしてきた。だからこの年まで生き延びてきたのだ。思い出すには切ないほど、自分ながらよくがんばったと褒めてやりたい。小規模ながら中古物件販売専門の不動産屋を興し、今は息子に任せている。しかしそんな有象無象は夢には出てこない。

「点滴終わりましたよ」

いつもの看護師が笑顔で宗助を見下ろしていた。

「何か夢を見ていた? 楽しそうだったけど」

点滴を片付けながら、元気になってきているみたいねと励ます。もう一度故郷の空気に触れたい。ベッドに縛り付けられたまま終わりたくない、百年でも千年でも生き続け、この世の変化を見届けたい。人間100%死ぬと誰が決めた。俺だけは例外であってほしい。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『癒しの老話』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。