【前回の記事を読む】「人間、死ねばおしまいか」父が遺した夢。託された息子は…

風のいざない

何度も繰り返し夢見る原風景。入院が長引いて一ヵ月になる。宗助はうんざりしていた。検査入院のはずが、肺に水がたまり、全身のむくみがまだとれない。起き上がってトイレに行くにも呼吸が苦しい。弱気がまた押し寄せてくる。もう長くないかな。退院できないまま逝ってしまうかも。

八十歳を過ぎ胃癌の手術を二度受けたが、すでに平均寿命は超えた。医者も今では暗に年齢だからとほのめかす。

諦めと……未練と……揺れ動く。若いころに胸を患い、健康には自信があるほうではなかった。だから漢方薬やヨガなど我流ながら体力維持に努めてきたはずなのに。

トイレからやっとの思いで戻りベッドに横になる。またうとうとし始めた。

一面西洋たんぽぽの花が埋めつくす小高い丘、春風がしきりに頬をなでる。そこだけ太陽の光が集まったように明るい。そのたんぽぽの中に一人の少女がうずくまり、無心にたんぽぽの花を摘んでいる。母親か、姉のお下がりなのか、少女は大きめのブラウス、そしてモンぺをこしらえなおしゴム紐を入れた絣のズボン姿。

ゆっくり立ち上がり、たんぽぽの王冠を満足げに見つめると、こちらを向いた。確かにアキだ。俺はアキのことが気になってならない。宗助は自問した。真ん丸な小顔、目鼻立ちは可愛いが、美人とは言い難い。周囲に何人かいる女の子の中で、なぜかアキのことが心に留まる。

田舎の子はおかっぱの子がほとんどなのに、アキは珍しく長いおさげ髪を三つ編みにしていた。豊かな黒髪は背中まで伸び、学校では宗助は後ろの席にいる。ついいたずら気が出て、ノートを一枚破り、こよりにしてそっとおさげに結び付けて、ほくそ笑む。

ひどいときはわざわざ校庭の雑草を摘んできて、おさげにそっと挿して喜んでいた。いたずらされたと知るとアキは泣きまねをして見せるが、決して本当には泣いていない。すきを窺い、宗助の筆箱をさっと奪い、ぽいと床に捨てた。「ふふふ……」と小さな笑い声さえもらしている。「いたずらのお返しよ」と暗に応えているようだ。

少女なのにすでに男の気持ちが手に取るようにわかっている。その振る舞いに俺の気持ちはいつしか浮き上がっていた。俺はアキが好きだと宗助は自覚した。