志村ふくみさんとゲーテの色彩論

膠原病と診断され、東北大学病院での入院生活を終えて、私は長男と二人で半年ほど実家で過したのだが、その時また別の不安が私を襲っていた。

五ヶ月間の入院生活は、思いの外私の体を弱らせていて、日常生活がまともに送れないことに。母や妹に長男の面倒を見てもらい、私は一日の半分を布団の中で過した。

サラリーマン生活を辞め、小学校の教員の資格を取るため勉強中だった夫は、念願の職を得た。でも、こんな状態ではいつになったら親子三人の普通の生活ができるようになるのか、皆目見当がつかなかった。

そんなある日、何気なく一人で茶の間でテレビをつけたことがあった。映し出されたのは、染色家の志村ふくみさんと、名前はわからなかったが京都大学の美学の先生の対談だった。

番組は終わろうとしている時のことで、話の内容はまるでわからなかったが、志村さんが語られる色彩や光の話が、ある種波動のように響いてきた。

志村さんは悟りを開いた尼僧のような雰囲気を漂わせ、テレビの向こうから、ほのかな光が漂っているようなとても敬虔な時間だった。

そして、なぜかポロポロと涙ばかりが流れた。わずか十分足らずの、しかも理解のできない対談になぜこんなに涙が出るのかわからなかったが、それは、ある種の言霊の出現とでも言えるような不思議な霊性と私自身の再生を励ましてくれるような力強さを持つものだった。

ずっと後になって、河合隼雄の本で知った「意味のある偶然」「シンクロニシティー」とは、あの時のことを言うのだろうかと思った。体が回復するまで時間がかかったが、親子三人の暮らしがスタートして、しばらくして、志村さんが素晴しい文筆家でいらっしゃることを知った。出会った本のカバーは、深い紺色の、志村さん自身が染められた藍の色で、題名は『母なる色』。それからずっと後の『白夜に紡ぐ』の二冊。読み進めていくうちに、あの番組で語られていることが書かれているのに驚き、私の内面にじんわりと染み込んだ、心揺さぶられた日のことをよく覚えている。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『永遠の今』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。