修学旅行と私⑶~修学旅行と悪しき慣行、「学校の常識は世間の非常識」~

物事には、表と裏、光の部分があれば影の部分もある。そして事が大きくなればなる程、動くカネも大きくなる。カネにまつわる悪しき出来事は、政界のそれとは比較にならないが、教育界でもないわけではない。今回は、学校現場で比較的大きなカネが動く修学旅行を取り上げてみる。

その典型的なケースとして、業者選定と本番前の実地踏査があげられる。ここでは実地踏査に着目してみる。実地踏査は、通称「実踏」と言われ、文字通り、本番前に実際に現地踏査をすることである。問題はその実踏に業者が同行し、行く先々で教員を”もてなす?”ことが少なからず行われていたことである。

それは当時、俗に”大名旅行”ともいわれ、業者からの”接待?”を受け入れがちな、いわば、”悪しき慣行”のようなものがあった。そして修学旅行を無事終えると、日を改めて、”反省会”の名のもとに、新宿や銀座などの高級料理店などで、一席設けられることもあった。私たちの場合は、会費制で教員側も業者もともに代金を支払うものであったが、傍から見れば業者接待の疑念を持たれかねない。

そんな中、千葉県や神奈川県で修学旅行や校外学習に関わる贈収賄事件が発覚し、「修学旅行汚職」「まさか校長が収賄とは」「子供の夢壊した」「校長ら3人書類送検」「綱紀粛正を指示、公立校に緊急通知」(いずれも1989年に新聞報道された記事の見出し)〈注4〉、「収賄容疑で元中学校長逮捕」「背景に旅行業者の競争」(いずれも1992年に新聞報道された記事の見出し)〈注5〉などとマスコミに大々的に報じられ、世間から社会的非難を受けることとなった。以後、これを境に、業者との関わりが大変厳しくなっていった。

さらに、修学旅行に関わる悪しき慣行といえば、私が教員駆け出しの頃であったであろうか、昭和の代のことであるが、生徒の就寝点呼、見回りを終えた後、その日の反省会と称して、特別室に教員が集まり、業者もしくは、宿から提供された? と思われる酒や豪華なオードブルを口にすることもあった。今だったら、”一発アウト!”である。

当時はそうしたことが公然とまかり通っていた。その費用は、最終的にどこから出ていたのかを考えると、恐ろしい限りである。しかし、”当時の学校”は、そうしたことを全く問題にしなかった。いや、問題だという認識にすら至っていなかったのである。まさに、「学校の常識は世間の非常識」であった。

〈注3〉私は事前にバスガイドさんに、波打ち際をバスで走行する際は、ムードを盛り上げるような曲を流して欲しいと依頼してあった。個人的にはポール・モーリア風のムードミュージックが流れるものと踏んでいたが、そこは若いガイドさん、サザンのファンだということでこのようなこととなった。結果的に生徒にとっては、ポールよりはサザンの方が絶対によかったみたいだった。

〈注4〉1989年3月、千葉県東葛飾郡関宿町の中学校長が修学旅行の業者選定にからむ贈収賄の疑いで逮捕、起訴された事件。逮捕者は収賄側の校長と贈賄側の某大手旅行会社の2名で、旅行受注で校長の銀行口座に70万円が振り込まれた。このことを受け、県教育長は県内全公立学校に対し、「教職員の綱紀の粛正」の緊急通知を発出した。現職校長の逮捕ということで大きな波紋を呼んだ事件。(出典:『読売新聞(朝刊)』より「1989(平成元)年3月30日・31日・4月6日・6月21日・12月23日の記事」及び『朝日新聞(朝刊)』より「1989(平成元)年3月30日・31日・4月20日の記事」を参照)

〈注5〉1992年9月、神奈川県相模原市の元中学校校長が校外学習の業者選定などを巡って某大手旅行業者から賄賂を受け取ったとして逮捕された事件。(出典:『朝日新聞(朝刊)』より「1992(平成4)年9月25日の記事」を参照)

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『ザ・学校社会 元都立高校教師が語る学校現場の真実』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。