飛行機はサン・マルコ空港を定刻通りに離陸し、トランジットで午前八時二十分、ロンドン・ヒースロー空港に着いた。成田行きの出発は午後一時五十分である。約五時間の待ち時間。それでも、週に数便しか飛ばない直通便より早く日本に着く。

待合室でまたスマホを開けた。メールはどんどん増えて、十人以上の受信があった。みんな、心配してくれていた。一人ひとりの顔が浮かんだ。なんとありがたいことかと思った。が、読み続けていくうちに、心臓がドキドキして、呼吸が苦しくなった。博史が死んだ、逝ってしまったと、どの文面もが伝えている。

返信せねば、と思ったが、できなかった。一人ひとりにメールを書くことは、一回一回夫が死んだことを確認する作業だ。冷静を保てそうになかった。

後になって思えば、全員をBCCにして、同じ文を返せばよかったのだ。「ありがとう。私は今、日本に向かっています。後ほどまた」それだけでよかったのに、BCC返信という方法が思い浮かばず、すべての方をスルーしてしまった。本当に申し訳なかったと思う。

一方でLINEは、会話のように口語的な言い方でもOKだし、短文でよいので、返信できた。四人の友人とつながった。大学の合唱団サークル以来四十年以上の付き合いになる友人男性、ママ友が二人、趣味つながりの女性。

ヒースローでの四時間以上を、この四人はずっとLINE通信に付き合ってくれた。四人はグループでなくそれぞれ個人LINEだったので、順々に返信することで、私は長い待ち時間をつぶすことができた。

ありがたかったのは、四人とも博史のことには最初に触れただけで、あとはずっと日本は大雪だの、寒くて風邪をひきそうだの、とにかく食べろだの、トイレに行っておけだの、悲しみと向き合わせないでいてくれたことである。もしも彼らから「どうしてこんなことになったの?」と聞かれたり、「かわいそうに」などと同情されていたら、私は会話を続けられなかっただろう。

彼らは、ほかの友人たちの言葉も伝えてくれた。「〇〇さんが、何でもすると言ってる」「△△さんから『自分も二十年前に夫を亡くしているから、私にしかわからない気持ちがあるはずだ。そう伝えて』と言われた」等々。

日本はすでに午後になっている。娘と息子は病院に行って忙しくしているはずなので用事以外の電話はできないなか、私の心に寄り添って、四時間も付き合ってくれた友人たちには、今思っても感謝しかない。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『あなたと虹を作るために』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。