洞窟

日曜日、父が、研究の仲間たちや、遍路(へんろ)(みち)の維持のためのボランティアをしている人たちと一緒に、(かく)林寺(りんじ)から(たい)龍寺(りゅうじ)へと続く道の掃除をするというので、はるなと母もついて行くことにした。途中、父ははるなに尋ねた。

「札所って分かるか?」

はるなが首を横に振ると、

「四国には一千二百年ぐらい前の空海(くうかい)というお坊さんにちなんだ寺が八十八カ寺建てられている。それを札所といい、それらをつなぐ道を遍路道と呼んでいる。遍路道は四国をぐるっと、一周している。右の川の対岸、山の上に二十番札所の鶴林寺がある。左の山の奥の方、てっぺんには二十一番札所太龍寺がある。今日は、鶴林寺から太龍寺へ行くための遍路道へ行くことにしている。

この道は、車では行けないような狭い道だから、放っておくと荒れて道がなくなるんだ。だから、時々、道の掃除をして整えてやらなくちゃいけない。お遍路さんが歩きやすいように道を整えることも、このあたりの習慣でいうところのお接待というやつだな」

と説明した。

「お接待って?」とはるなが聞き返したが、

「お寺にお参りに来た人に『お疲れ様』って、温かいうどんを配ったり、足を痛めた人がいたら(ふもと)まで送ってあげたり、いろいろあるさ。ぼつぼつ分かってくるよ」

と言って車を降りた。

ここからは少しだけ歩くことになった。掃除といっても(ほうき)で道路を掃くのではなく、山や谷底に不法投棄(とうき)されたゴミを拾ったり、トレッキング道のような道を被う木々を刈り込んだりする作業だった。

母は汗だくになりながらも、「木々の香りを思いっきり浴びられて、いい所ね」と言った。

父は、「ここの厳かで落ち着いた空気が好きなんだ。君たちが来るまで、時間のある時はよくこの道へ歩きに来ていたものだ」と答えた。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『朱の洞窟』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。