私の住む家が特に信心深いということではなく、私の住む在所、三十六軒の家は概ねそうであったろうと思われる。家の中には何カ所か神棚があった。当時家々にはガスなどはなく竈に薪で煮炊き物をしていた。竈には竈の荒神さん、別の場所に大黒様といった具合にいろんな神様が祀られていた。

私が生まれた家では、正月前に太夫さんと呼ばれる女性の神官が夕方から来て、奥の間と呼んでいる部屋の床の間に木で何種類かの飾り物、捧げものらしき物、木の途中から上に削り上げ、くるりと削り上げられた木が菊の花が咲いたように見える物も何本か供えられて、家族が後ろに並んで座り、神言をのりあげ、正月神様のお迎えをされ、一夜を過ごし、翌朝帰られるのが毎年の常であった。

今、自分の目の前に中の間に祀られている天照大御神様の神棚があった。生家は急峻な所にあり、家の庭先が隣家の屋根と同じ高さであり、後ろは一メートルほどの空き地があり、三メートルくらいの石垣の上に畑があった。二階の窓から下屋の屋根に丸太を三本縛った簡易の橋が架けてあり、窓から裏の畑に出られるようになっていた。ただあまり使用はされなかった。私を除いてである。

部屋の間取りは、一階に二間四方の土間があり、土間から茶の間が続き、茶の間の一角に二つ並んだ竈があった。南側に細工場があって、一畳の薪置き場があった。茶の間の真ん中に囲炉裏があって囲炉裏を囲んで三度の食事の場になっていた。土間の北側には八帖の中の間と八帖の床の間があり、西に縁側があり端に便所があった。茶の間の北側、中の間の東に掘炬燵の部屋があり階段がついていた。

その奥にもう一部屋あった。階段を上がると八帖二間の部屋があり、主に穀物置き場になっていた。八人兄弟のおとんぼ、末っ子である私は此処で一人寝起きしていた。子供部屋などはなく、兄弟順送りで二階を自分の部屋として使っていた。やっと自分の部屋になったが少々無精者で、夜小用をたすときは裏の窓を開け丸太橋を渡って畑で用を済ませていた。

あるとき、母親に裏の畑が臭いと叱られた。無精者の私は一計を案じ、大き目のウイスキーの瓶に小便を溜め、ある程度溜まってから家族に見つからないように捨てに行っていた。此の瓶をそっと俵の陰に隠していた。ある日、母が物を動かしたとき、此の瓶を転がしてしまった。運悪く瓶の蓋を締めていなかった。当然瓶の中の小便がこぼれてしまった。母は瓶が転がり中の物がこぼれたことだけを私に告げ、叱りはしなかった。私も深く考えることもなかった。それが数か月して今日の出来事である。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『市井の片隅で』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。