【前回の記事を読む】【小説】老人が見る幼少期の夢は「野生の小動物たちの楽園」

夢のかなた

源蔵さんの幽霊は丘の上のクルミの木のてっぺんの枝に座っていた。開墾前から自生していた老木だが、今でも実をつけている。自分の夢は何だったのだろう。夜空の星を見上げながら、何遍も考えた。

確かに息子たちには、たくさんの夢を語ってきた。二人の息子は二人とも口をそろえて父の夢を実現していると言う。でもそれは源蔵さんの夢ではなく、息子たちの夢の実現だった。

考えてみれば、この地に開拓に入ったのは源蔵さんの父親の時代、源蔵さんは二代目だった。生まれ故郷の川が氾濫し、田畑を失った。北の大地で原生林を開墾し、一から始めると決めた父親が何を考えていたか、今ではおぼろげで定かではない。

熊笹に野火を放ちながら、親父は何を夢見ただろう。故郷から果物の苗木をたくさん取り寄せ、大きな果樹園を作った。源蔵さんの子どもたちはその果物で無事成長したのだ。

「人間死んでしまえばおしまいか」

源蔵さんはやっとその思いに至った。息子の夢は源蔵さんが思いもしなかった形で実現されている。長男は観光農業を語り、次男は自然保護を夢見る。二人とも父の夢と言いながら、自分の夢を追いかけている。その背中を押したのは「親父なんだ」と言う。

親が死んでも夢は姿を変えて繋がっている。自分も親父の思いなど心中になかったかもしれない。数年に一度襲ってくる凶作に悩まされ、完熟していない麦を青田刈り、飢えをしのぐ苦しさ。何とかしたい!

思案の末、思いついたのが畑作以外の現金収入を得ること。酪農、ハッカの栽培、家族を巻き込んでチャレンジの連続。朝早くから夜遅くまで、毎日過酷な労働に耐えた。軌道に乗せるのに十年かかった。そして源蔵さんは不治の病に侵されてしまった。

悔しかった。命がけで取り組んだ源蔵さんの農業は、今は形さえ残されていない。源蔵さんはクルミの木のてっぺんで得心した。親から子へ思いを繋いできたつもりだった。が、それは同じ形とは限らない。変化しなければ生きていけないのだろう。

「息子もいずれは死ぬ。するとその子がまた姿を変え、夢を繋げてゆく」

神仏との約束の時間が近づいてきた。源蔵さんは二人の息子が住む家をもう一度眺めながら「新しい夢も、まあいいものだ」微笑みながらゆっくりと消えていった。