実際そのおよそ10年前、米国は多国籍軍を率い、クウェートに侵攻占領した独裁者サダム・フセインのイラク軍に対してペルシャ湾での湾岸戦争を開戦。イラクが敗退後も、イスラムの聖地メッカを持つサウジアラビア等に駐留していた。それに対して、イスラム圏である多くの中東諸国では、抑えきれない不満や反発が増してゆき、アルカイダなどの過激派が活発化したということらしい。

「ジョージ・ブッシュ大統領の強引ともいえる勇み足が、この悲劇の引金になったように思うね」

「同感だ」

「それにしても、全く想像の世界のような出来事が、本当に起きてしまったものだ」

茶園でのその夜、国は違えどシリアスな話題になぜか心が熱くなっていたことが思い出される。スリランカの山の自然に囲まれた茶園では、時間がゆっくりと流れ、人々は、日々の営みを穏やかに乗り越えているように映る。今では、スマホからどんな情報も簡単に手に入る。閉鎖的な紅茶園の暮らしは、若い人たちには将来への希望が見えにくく、仕事としての魅力があまり感じられないのか、多くは都会に出て行ってしまうといった話を聞く。

現代の紅茶の味や香りも、それはよくできているが、先の経済原理で、昔とは大きく変貌してしまったかもしれない。この茶園の紅茶も、セイロン茶を代表する言わばモダンなハイグロウンディンブラの品質だった。

茶園マネジャーとの意見交換を終え、山を下りる車の中で、私のスーツケースは、コロンボの空港に届いていると、Aさんが知らせてくれた。数日前の不吉な予感は、杞憂となった。

翌日はコロンボで最新鋭工場の竣工記念セレモニーの後、再び、山に向かい中標高の紅茶産地である古都キャンディへ。例の先輩を含むお偉いさんご一行に同行予定だったが、安心して参加できることとなった。

「昔の紅茶の方が良かった」あの方も、キャンディとコロンボの素晴らしく清潔な紅茶工場を見て、紅茶作りの進化を目の当たりにされたことだろう。さりとて、今昔・新旧の紅茶の違いは、残念ながら並べて比べることはできず、あの思いへの疑問の解決とまでは到底いかずの結末。コロンボへの帰路のマイクロバス中では、ナイスティーならぬナイスショットの夢の中、皆ぐっすり。

もしかしたら、昔懐かしいノスタルジックな味わいのセイロン紅茶が、今もどこかで作られているかもしれない。そんな紅茶探しは、今後のお楽しみの一つにしておこう。

(※注1)スリランカ製の下着とワイシャツなどで、なかなかの品質。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『紅茶列車で行こう!』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。