重太郎と吉三は粗衣川の分流である小粗衣川河口にある番所を経由して、日本海に面した砂の海岸を、坊の入り江を目指して南下していた。まだ、春浅きだが、日差しは空気の冷たさを補うに十分であった。

途中、川の河口に阻まれる以外は、延々と砂浜の海岸線が続いている。波打ち際の砂に吸い込まれては打ち返している波は、のどかな響きを繰り返して、春だと呟いている。岸辺の海は薄い空色をして、そのうえに立つ白い波頭が飛沫(しぶき)の模様をつくる。

顔を上げて、「遠くの水平線まで青い」と景色に打ち浸っていると、時折の冷たい風が首をすくめさせた。坊の入り江で異国船が座礁したのは、ちょうど去年のいま頃のことだったという。重太郎は打寄せる波をよけながら、軍奉行の萱野軍平から聞いたことを思い出していた。

座礁した異国船は舳先(へさき)を入れて全長三十三間(六十メートル)、幅八間(十五メートル)ととてつもなく大きい三本マストの帆船(シップ)で、三本マストは舳先からフォアマスト(二番目に高いマスト)、メインマスト(最も高い)、ミズンマスト(三番目に高い)と呼ばれるが、そのうちの高さ三十三間あるメインマストは、根元近くでねじ折れていたという。

この船は一隻で四十門もの大砲で武装していた。南蛮船の大砲の威力がどれほどのものかは見当もつかなかったが、試射の結果によれば半里ほど離れた沖合からの砲撃でも陸に届くだろうと云うから、番所にある大筒では到底太刀打ちできないと思われた。

顔を上げると、前方にかすんでいる岬が見える。そこまで砂浜が帯のように続き、それに沿って左の陸側はずっと松林が続いている。この辺りの冬の風は厳しく、海の水が霧となって陸深く飛ぶ。その塩害を防ぐための防風林である。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『祥月命日』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。