2008年

ブルターニュという地方

二月に入った週末、全国的に晴れの日になった。抜けるように青く澄み渡った空、小鳥がさえずり、噴水は陽光に光り輝く。

花壇には春を予感させる黄色い水仙が。タボール公園の中央には花壇と噴水があり、その周りに椅子に座ってくつろぐ人がたくさんいる。ギャラリーがある建物の南側の壁に沿って一列に椅子が並べられ、本を読む人、新聞や雑誌を読んでいる人、しっかり抱き合ったままのカップル、仲間と談笑している若者、じっと目をつむってひたすら太陽に顔を向けている人、ぼーっと噴水をながめている人、などなどさまざまである。

サングラスをかけて本を読んでいる人も少なからずいる。中には真冬なのにタンクトップ姿の女性も。皆、天気が悪く暗い冬の日々をつかの間抜け出すことができた喜びに浸っているようだ。

そんな休日の午後、毎週土曜日に朝市が開かれる場所でブルターニュの伝統音楽のコンサートがあると聞いたので出かけた。ブルターニュ音楽はケルト系の音楽だ。ボンバードという縦笛やビニューというバグパイプで演奏される。そして独特な民族衣装を着て踊る。

ブルターニュはケルト文化が基層にある。ブルターニュに関する本によると紀元前六世紀頃中央ヨーロッパから渡ってきたケルト人がブルターニュに定着した。その後一旦ローマ帝国に支配されてケルト文化はローマ文化と融合し、ケルト色が薄れたが、五世紀にローマが衰退するとイギリス本島からアングロ=サクソン人に追われたケルト系ブルトン人が海を越えて大量にブルターニュに移住した。

そして再びケルト文化が復活したということだ。その後ブルターニュはフランス王国と対峙して独立の公国を保持し続けたが、十六世紀フランス王国に追い詰められ、ついに併合された。フランスはイギリスに追いつくため、そして他の欧州各国からの侵入に対抗するため、フランス革命前も革命以降も地方分権ではなく中央集権国家体制をとってきたという。そしていまでも中央集権的な国家である。

しかし前述のような歴史を持つブルターニュは中央政府に対抗する意識を持っている。フランス革命時にはナントを中心に「ヴァンデの反乱」を起こし、革命政府に反旗を翻した。国王や教会を擁護するいわば王党派の反革命である。結局武力で鎮圧され多くの人が虐殺された。

一九九四年に魚の価格が高騰したときは、レンヌで暴動が発生し、一部の人々が暴徒化して裁判所を焼き打ちした。いま、その裁判所は修復され、金の彫像が屋根の上で光っているが、屋内に入ると、ところどころ天井に焼け焦げたあとが残っている。

二〇〇五年にフランス全土で暴動があったが、その際の学生の反乱はレンヌ大学が先駆けとなったということだ。文化的にも独自色が強く、近年もブルトン語を守るための運動がおこり、結局学校の授業で教えてもよい権利を勝ち得たという。レンヌより西に行くに従いその色彩が強まり、道路標識もフランス語とブルトン語の二段表記の町がたくさんある。

そのケルト系のブルターニュ音楽だが、きょうのバンドは伝統的なブルターニュ音楽にロックやファンクを融合させた感じであった。ギター、ベース、ドラムにボンバード、ビニューそしてボーカルの六人編成。サウンドはロックだが、ボンバードとビニューがケルト色を出している。五百人ほどの観客は比較的年配の人が多かったが、ときどき合唱していた。ロックのリズムでブルターニュダンスを踊る輪もできていた。

私はブルターニュ特産のりんご酒シードルを飲みながら楽しんで聴いた。コンサートが終わるとタボール公園を抜けてアパートに帰った。空はいぜん限りなく青く、日差しがまばゆいくらい。公園内は午前以上に多くの人々で賑わっていた。茜色の西の空に、金色に輝く二筋の飛行機雲がまっすぐ北に伸びてゆきながら冬の日曜日が暮れていったのだった。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。