大徳寺

私は京都の大谷大学短期大学部国文学科に入学した。寝具類はチッキで送ってもらったが、身一つのような状態で行ったので、鍋類から衣類まで、日用品を揃えるには仕送りだけでは間に合わずたくさんアルバイトをした。

最初の下宿は、本阿弥光悦の草庵で知られる鷹ヶ峰の光悦寺の近くにあった。当時は拝観料が必要なく、門も開いていたので、早朝の散歩を毎日のように楽しんだ。竹を斜めに組んだ朝露に光る垣根は美しく、凛としていて、光悦はどんな人だったのだろう……と空想に浸ったりした。

七つの茶室も見事で、かつては光悦村と呼ばれ、数々の名品が生み出された時代が幻だったかのように、静寂な異空間だった。

その中を一人で歩いていると、心が浄化されるような気分を味わった。時は、忙しくは過ぎていかなかった。

光悦寺の坂を降りて行くと、杉林に囲まれた小径があり、歩き続けると金閣寺に辿り着く。この小径を歩くのも幸せな散歩コースだった。私は京都・奈良の街をよく歩いた。

仏教(浄土真宗)の大学に進学したものの、私の中には悟りを開くなどという考えは皆無だったし、今も『正法眼蔵』を読む能力を持たないが、禅の中に私を安らかにしてくれる何か、そこに向かいたいといった漠然としたものが消えずに残っていた。頭で考えるのではなく、私の内部にそのような回路があるような気がしていた。それはどんなふうに私の所にやってきたのだろうか。

北区の大学の近くに、臨済宗の大徳寺があり、時々庭園を歩いたりしていた。ある日、「枯山水」で有名な塔頭寺院「大仙院」の近くを歩いていた時、「お茶を飲んで行きなさい」と一人の僧侶に呼び止められた。私は悲しそうな顔でもしていたのだろうか。後を付いて行くと、禅僧の方々が住んでいらっしゃる庵があった。

お茶をごちそうしてくださり、自作の茶杓を何本も取り出し、木の話や利休の話を教えてくださった。私にとってその場所は、虚栄心を必要としない、安らかさを与えて頂ける場所になり、時々講義の帰りに立ち寄るようになった。今もあの場所は、夢のような特別な場所として記憶に残り続けている。仏の世界は人を見下したりしない。

京都に来て初めて、私を癒してくれる場所を得たような気がして、高校時代に味わった傷なんかいつの間にか消えていたような気がする。いつも温かく迎えてくださり、禅僧の方々との交流は、有り難い出会いであった。

それにしても、古刹・大徳寺の庵に平気であがり込むなんて、我ながら呆れるばかりの青春の思い出である。庵には祖母の家の縁側のような場所があり、足をぶらぶらさせながら、家に帰ったような気分を味わっていたのだから、まったく図々しい人間である。