2008年

経営者は悪者か

一方、フランスの労使関係の様相は少なからず日本とは異なる。会社で創立記念日などの各種イベントを主催すると、日本では、そうしたセレモニーの壇上に労組の代表も招待し、時には労組委員長の挨拶などもある。

だがフランスの会社では、彼らはそれを辞退する。なぜならそうした招待に応じたら経営者に取り込まれてしまうことになると考えるからだ。組合は経営者とは一線を画すべきだというのが彼らのスタンスなのだ。

労使が対立している間にグローバル競争に負けて会社が無くなってしまったら、自分達の生活も危うくなってしまうではないか。というようなことを言うと、いや組合はあくまで社員のいまの労働条件を良くすることが使命であって、それが組合の存在意義なのだと主張する。

会社の競争力うんぬんの責任は経営者にあるのであって、競争に負けるのは経営者の経営能力がないからだ、経営者の責任だ。私達はいかに良い労働条件を勝ち取るかに専念するのが使命であって、経営問題を解決するのは経営者の責任だ、というわけである。

その根底にあるのは企業経営者に対する不信だ。つまり経営者は労働者の給与をできるだけ低く抑えて自分の私腹を肥やそうとしている、という根本的な認識が存在するのである。それがいまの不平等社会をもたらしている原因なのだと。

教科書偏向問題の背景にはそうしたフランス社会の労使関係があると思う。フランスでも組合の組織率は決して高くはない。十%程度だと言われている。それでも労働組合の影響力があるのは、フランス国鉄、フランス電力、フランステレコム、エールフランスなど国有企業や国営企業がフランス経済で大きなウエイトを占めていて、そうした企業で組合の勢力が強いからである。

フランスには全国的組織として五大労働組合があり法律的にも権利が認められている。サルコジ大統領はさまざまな経済・雇用改革を実行しようとしているが、その前に立ちはだかっているのがこの五大組合である。サルコジと労組代表とのトップ会談が行われたりもする。

CEは日本の労使協議会のようなものだと先ほど述べたが、実際は協議機関にとどまらず経営の諮問機関でもある。例えば労働条件に変更をもたらすような会社の経営施策(新設備導入、組織変更、雇用問題など)に対する従業員代表が意見表明する機会を必ず事前に与えなければならない。CEの意見を聞いたあとならば部下に話してもよい、だがその前には決して話してはならないといつも幹部に念を押さなければならない。CEの設置は労働法典に定められた義務だ。

そして五大労働組合の代表がその委員に選出される。私の会社にはこの五大組合のうち三組合が代表となっている(二〇〇六年までは四組合だった)。賃金交渉はその三組合から出された別々の要求に対して行うことになる。経営の諮問機関としての機能を労働組合に持たせているのは、ある種のコーポレートガバナンスと言ってもいいと思う。だが実際はガバナンスの機能とはほど遠く、単なる労働条件会議になってしまっている。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。