2月1日のジュネーブ市内観光で宗教改革記念碑があり、(ジュネーブの宗教改革指導者でカルヴァンをフランスから迎えた)ファレル、カルヴァン、ベーズ、ノックス、の4人の彫像(第3回『自由を守りぬいた気概…独立共和国スイス「ジュネーブ」を巡る』写真参照)があったのを覚えています。

スコットランドの宗教改革によりイングランドは長年の宿敵スコットランドとの抗争関係から、カトリックのフランスに対抗する同盟関係へと転換でき、フランスからのカウティリヤ・セオリー「敵の敵は味方」の実践を封じた政治的・外交的な意味は大きかったようです。

1745年ボニー・プリンス・チャーリーはスコットランド軍を率いてロンドン北西120マイル(=193キロ)のダービーまで進軍したのですが、期待していたイングランドでのジャコバイト(ジェームズ2世を支持する人々)の支持が少なくスコットランドに引き返します。

フランスが1万人の軍隊をダンケルクに集結中との噂もあり、その時ロンドンではジョージ2世(在位1727年~1760年)が亡命まで考えるようなパニック状態であったようで「そのままロンドンまで進軍していれば」との話はあります。

しかし、同僚の欧州監査室課長のQさんの論文(第14回『多民族国家イギリス。ケルト文化根ざすコーンウォールを巡る』参照)How, and more importantly why, William III became King of Englandの趣旨によると、カトリックの国王がイングランドで安定した政権を維持できたかは疑問です。カローデンの戦いでもカトリックのボニー・プリンス・チャーリーに反対する長老派教会の兵士がイングランド軍に参加しており、スコットランド人がすべてステュアート王朝を支持していたわけではありません。

エディンバラは文化の面では8月の芸術祭が世界的に有名な町だけあって、なかなかいい美術館がいくつかあります。その中でもスコットランド・ナショナル・ギャラリーはロンドンの物の4分の1程度の大きさながらも印象派を中心に面白い作品をそろえています。

エディンバラから西に向かい、メアリー・スチュアート(スコットランド女王)が生まれたリンリスゴウ宮殿を観光したあとスターリングに寄りました。ここは、1297年スコットランドの国民的英雄ウィリアム・ウォレスがイングランド軍をフォース河畔で敗北させた場所で、また1314年スコットランド王ロバート・ザ・ブルース(在位1306年~1329年)率いるスコットランド軍がエドワード2世(在位1307年~1327年)のイングランド軍を打ち破ったバノックバーンの古戦場がすぐ郊外にあります。

宿泊地はさらに西のロッホ・ローモンド湖畔のB&B(ベッド・アンド・ブレックファストで1泊20ポンド、3,400円@170)を利用しましたが、湖畔の観光案内所は7時半まで開いており非常に便利です(先月のデュッセルドルフ出張<ライン川クルーズ>時に気がついたのですがドイツでは観光案内所は土・日休みです)。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『ヨーロッパ歴史訪問記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。