北欧三カ国回遊 

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岩石と樹木の多いヘルシンキ

二〇〇六年七月二十五日午前十一時に、中部国際空港からフィンランド航空で北欧三国(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー)周遊の旅に出かけた。

立花隆氏がテレビで「海外旅行の快感は身体中のセンサーが全部、外に向くことにある」と述べていたが、全く同感である。

九時間のフライトで午後三時十分フィンランドの首都ヘルシンキに着いた。外に出ると空気が乾いていて、日本の梅雨空と全くちがう。太陽がまぶしく「北欧」の予想ともちがう。

ホテルへ向かうバスの車窓から見ると岩石と緑の樹木が多い。男性ガイドは特に岩石はかつて氷河に覆われたスカンディナビア半島の特徴と述べた。

都心部に路面電車(LRT型)が見えてプレシデンティ・ホテルに着いて荷を下ろした。「サウナ」の大きな文字がロビーにある。風邪気味なので外出を控え、早めに寝た。

翌朝はこれからも続くバイキングの朝食。午前の市内観光に出発した。最初に海岸埠頭地区にあるマーケット広場である。カラフルなテントが並んで賑やか。港にはヨットやボートがのどかに浮かんでいる。イチゴから雑貨類までいろいろあるが、エンドウまめをもらって食べてうまかった。

次に広場から見える赤レンガのウスペンスキー寺院で、葱坊主のような円屋根。北欧最大のロシア正教寺院である。

ここでフィンランドの歴史に少しふれてみよう。AD一世紀頃アジア系のフィン族がエストニアの方から上陸して来た。カレリアやサボを同化していった。一二世紀にスウェーデン王が十字軍の名のもとに侵入占領した。その頃カトリック教が布教された。一六世紀に宗教改革が行われルター派が大勢を占めた。このころ義務教育がひかれ、文字(聖書)を読めぬ者は結婚できないという厳しい掟が決まった。今日の教育大国フィンランドの基礎が築かれた(今の日本だったら人権蹂躙とか少子化のもとだとか言われ散々だろう)。

一八世紀になるとロシアのピョートル大帝が侵入し、次第にフィンランドは征服されていった。一八六〇年にこのウスペンスキー寺院が建てられた。このころにはフィンランド人の反ロシア感情は頂点に達し、以後第二次大戦が終わるまで、戦いの連続だった。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『21世紀の驚くべき海外旅行II』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。