岡山大学医学部第二内科へ入局

さて、医局生活であるが「大藤先生、胸腺※注1)の何をしたらいいのですか」という問いかけすら、恐れ多くてできず、自分で考えるしかなかった。胸腺をやれか! ならば、と図書館に通い胸腺に関する論文のコピーを取り、片っ端から読破した。胸腺をやれという意味はすぐ分かった。1961年オーストラリアのメルボルン大学の若き研究者ミラー博士が新生児マウスの胸腺を摘出すると消耗性疾患で100%死亡することを発表していた。世界中の免疫学者の目が胸腺に向いていたのである。

わが国では九州大学の野本亀久雄先生が胸腺摘出の技術を持っていることもすぐ分かった。早速私は胸腺摘出の技術教与のお願いをしたところ「いいよ、すぐ来なさい」とのことであった。

[写真1]新婚旅行は今日のように外国ではなく近場の観光地であった。伊勢神宮にて

テーマを頂いて2~3週で九州に行くことになった。野本先生は九大生体防御医学研究所に在籍する気鋭の若手の免疫学者で、東の多田富雄、西の野本亀久雄と称されていた。私の目の前で手際よく、生後間もないマウスの胸骨を開き、ガラス管を使ってネガティブプレッシャーでいとも簡単に胸腺を吸い取った。それを見て、「これなら私にもできる」と確信した。免疫学のよもやま話を聞かされ、大いに目を開かされ、その日のうちに帰途に就いた。山陽本線で夜間ガタゴトガタゴトと帰る途中、「待てよ、胸腺取るのにメスはいらぬ。抗胸腺細胞血清※注2)を作ればいい」と閃いた。

抗胸腺細胞血清は強力な細胞性免疫抑制作用を有していることを発見

帰岡するや、その翌日よりDDSとC57blの2系を使って抗胸腺細胞血清の作成に取り掛かった、C57blの胸腺細胞の浮遊液を作り、1×109個をウサギの静脈内に2週間間隔で2回注射し、その1週後に採血した。白いDDSマウスに黒毛のC57blの皮膚を移植し、翌日より毎日0.1mlの抗血清の注射を続けた。なんと移植された黒毛の皮膚はいつまでも生着し、毛も伸びてきた。2か月間毎日注射をし、それ以降は隔日に注射したマウス10匹は全例生着していた。

一方、正常ウサギ血清を使用した例は全例10日余りで移植片は硬化し、離脱された。即ち、拒否反応※注3)が出たわけである。抗胸腺細胞血清はマウスの細胞性免疫反応を強力に抑制して、同種ながら黒毛の皮膚を受け入れたわけである。このことは人間でいえば他人の腎移植が成功したことで、当時は画期的なことであった。即ち、当時このような強力な免疫抑制剤は存在しなかった。