修行あれこれ

当時私は、やりたいと思っていたことがある。木喰とまでいかなくても五穀断ちである。家族で生活をしていては其れはできないと自分に言い訳をして行わなかった。

一人でできる修行はないかと考え、水行をすることにした。滝行をやりたかったが近くに滝はない。八時間おきに一日三回滝に打たれるのは時間的に無理、着替えの用意も大変である。何よりも滝行は管長の講話の中で禁止されていた。

滝行を行い霊力がついたと思う場合があるがそれは低級な動物霊の類である。滝行を行うには低級霊が近づかないよう清める力を持った人がいること、火、着替えなど身の回りの世話をしてくれる人が要ることなど、滝行を行うのは難しかった。

思いついたのが水風呂である。

六月頃から始めて夏場は水遊びみたいなものである。その年の冬はことさら寒い冬で大阪の平地でも雪が積もったことがある。

頭を洗うとき、後頭部にシャワーの水を掛けると目玉が飛び出すほど痛い、両手で目玉を押えるほどである。シャンプーの泡立ちも悪い。水を溜めた浴槽に身を沈めると身を切るほどに冷たい、シャワーの方がはるかに温かく感じられる。

湯船で般若心経を三回唱えて鏡の前に立つと、体から出る湯気で鏡が曇ってしまうほどである。

或るとき、近くに住む姉がやってきて部屋を見て、

「あんたとこおかしん違う、温風ヒーターは点いてへん、炬燵すら出してへん、どないなってんの」と言われた。

「誰も寒いと言わないから炬燵も出さへんのや」。「あきれた、寒いから帰るわ」と言って帰ってしまった。

何かしら修行らしきことをすれば結果がついて来るものだと思った。

若いグループの人たちがどんな結果を得たかは知らない。

此のあと、私は阿含宗を去ることになるからである。