新藤由美子が映画の道に進んだ理由

何故映画を撮り続けるのか。その問いに彼女はこう答えた。

私に一人の兄がいる。消防官をやっている。そして私の父は自衛官だった。二人とも全くの無名である。しかしやってのけた事績はとてつもなく大きい。黙々とおのれの本分を全うする姿には、今の私など足元にも及ばない、と。

父の戦前の仕事は軍属だった。そして戦後の警察予備隊結成に喜んで参加した。その後自衛官となり一家を支えた。学校で担任教師から、新藤さんのお父さんは自衛官で日本を戦争に導く仕事をしています、と教室のみんなにのけ者にされることを平気でやられたのもこの頃である。

日本中を転勤して回った。竹馬の友はできにくかった。父のはぐれものとしての自衛官は陸将補で終わったが、後輩たちの人望は圧倒的だった。退職後は個人塾を開き祖国防衛の決意を遺言のように残して世を去った。

五つ年上の兄は消防官になった。父とは道を異にする生き方だったが、地域社会への献身性はより具体的な形を伴った。警防隊員としても、救急隊員としても両のかいな/rt>にずっしりとした市民の期待を滲ませ、かつ、報酬など全く期待しない無私の生き方であった。現在は課長職に就いている。

私は映画の道へ進んだ。いつかは父と兄を映像として描き残したいとの願望があった。この地上に全力を出し切り無名のまま消えていく人たちのために何かをしてあげたい。それが私の映画人としての役目だと思う。彼女はそう言ってはにかんで見せた。

初の時代劇となる「山名戦国策」もその一本だ。婆須槃頭にオファーを出したのがそれからだった。出演受諾は予想外だった。婆須槃頭は女性が映画を監督するという一点に共感を示したらしい。それが日本映画の最初の出演であっても、初の時代劇であっても彼は快諾した。まさに凱旋だ。

ニュースは日本を駆け巡りマスメディアが色めき立ち始めた。あの婆須槃頭がどういう日本人を演じるのだろうか。時代劇なのに大丈夫なのか。とにかくあの婆須槃頭が日本にやってくるのだ。