妻の意外な一面に気付く

「ラファエロ前派のロセッティやミレイの絵については、結構力を込めて褒めていたことは覚えています。でもそれはこの前派独特の構想力の豊かさと細部までの色彩感覚の独自性を買っているから高く評価しているのです、ということでした。よく言われるこの派の様式美については、奥さんは結構けなしているところもあったようです。

そこまでは覚えているのですが、僕の立場としてはここでお断りしておかなければなりません。本当に絵についてはまともに評価できているかどうか、自信がないんですよ。それにもうかなり時間が経っていますから奥さんの意見や感想などについて正しく伝えているかどうかも、高梨さんのほうで私の話を割り引いて聞きおくということにしてください。この先の話もそうです。

私は絵のほうでは本当にずぶの素人で何ともいえないのですが、このラファエロ前派の宗教画についてははっきりいただけないと言っておられたようです。宗教画ではないミレイの『オフェーリア』ですか、あの絵でも『色具合や構成の点ではいいけれど、全体としてはキッチュよ、はっきり言って〈駄画〉よね』、ということでした。

くだらない絵ということでしょうか、感じでは「無駄」の「駄」を取って〈駄画〉と名づけたのだろうと私は解釈したのですが。多分奥さんの造語だったんでしょうかね、この時だけは珍しくひどくけなしていましたね。それで気づいたんです。何回かしかお会いしていないので何とも言えませんが、日頃のおとなしい言動からしますと、奥さんは意外に好みをはっきり言う人だな、とその時は思いました。

多分外見や日頃の言動とは異なり、結構性格がはっきりしていて、何か興味のわく対象などを見つけると情熱を傾け、のめり込んでしまうタイプの人かと思ったこともあるほどです。『寸鉄人を刺す』という言葉がありますよね、奥さんと一緒にいろんな絵を見て回っているうちに感じたことです。奥さんの言葉遣いは手短に画家の本質を衝いていそうだと思ったことも何回かあって、結構印象に残っています。確かに奥さん流のはっきりしたもの言いの鑑定でしょうが。

恭子さんの鑑識眼がいつも当たっているかどうかということについては正しく判断できる自信がありません。それ以前の話で、自分の判断自体が怪しいものですから。本当に絵の鑑定では全くの門外漢です。個人個人の絵の鑑賞は千差万別であっていいんだということも、恭子さんから教えてもらった気がします。

確かなことといえば、これも当たり前といえば当たり前のことなんでしょうが、恭子さんからは自由に、好きなように鑑賞眼を伸ばしていって、絵を楽しみながら理解していく方法というんですか、そのやり方だけは何とか教わった気がします。『楽しみながら』のほうは何回も強調されましたが、理解のほうはできてもできなくても一向に構わないのでは、という気楽さでしたね」