そして母親である。

母親には、このまま頼り続けるだけではお嬢さんを失うだけですよ、ということを説いていった。

「では、わたしは誰に頼ればいいんですか!」

〈男性とうまくやっていけるくらい成長したと、おっしゃっていましたね。それでも孤独なときはあると思います。でもこのままでは、お嬢さんはお母さんを恨むことはあってもお母さんの助けになることは難しいと思います。もうすでに失いかけているんです。しばらくはお嬢さんのことを見守り、自立させていただけませんか。きっとお嬢さんはお母さんはどうしてるだろうと思って、戻ってきますよ。そうしたら優しく迎えてあげて、そして引き留めないでくだされば、また何度でもお嬢さんは戻ってくるでしょう〉

納得はしない、母親の表情にはそう書かれていた。しかしそれは口にせず、「そういうものでしょうか」とだけ答えて、母親は面接室をあとにした。

この母親は表向き娘を可愛がっている、あるいは親身に面倒を見ているように見えても、それは結局娘を支配下に置いて言うことを聞かせるためだった。娘は母を信じ、母親の言葉に縛られ、自分がいけない、自分が悪いと自責の沼に沈み込んでいた。いつの間にか娘を自分や家に縛りつける。これはどの家庭で起きても不思議はないことかもしれない。

娘に復讐する、あるいは大いなるお荷物にする毒親たち

最後に、夫や親たちへの憎しみを娘に向けて娘を追い込む母親と、娘の存在が自分にとっては邪魔者、お荷物でしかないという母親を紹介しておこう。前者は、夫や親たちが娘をちやほやし自分をないがしろにすることが許せないという母親である。後者は、娘が邪魔者だという点ではこれまで紹介した母親に似ているが、その邪魔な理由が女はお荷物だというところが際立っている。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『毒親の彼方に』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。