可愛くて、可愛くて仕方ない、わたしの大事なお人形のような娘

娘の服装は、一目でわかるゴスロリと呼ばれるもので、それが何となく似合っていた。一方で、記憶をなくすという障害に悩まされていた。気づいたら、知らないところで知らない男女と一緒に寝転がっていた、という単に若い者の放埓さだけのように聞こえるものから、東京から遠く離れた駅のホームに座っているところを保護されたが、日付を聞いて自分の記憶から数日たったものであったために驚愕したという深刻なものまで、エピソードには事欠かない様子であった。

当初、発言が不安定で幻聴が聞こえるかのように受け取られたことから、記憶の障害ではなく統合失調症ではないかと投薬されたりしたが、どうもこれは違うということでカウンセリングを紹介されてきた。エピソードを聞く限りは、解離性障害と呼ばれるものだったと思われる。

記憶がなかったことよりも、いつまた記憶がなくなるかということの方が心配だと娘は語った。そして、記憶がなくなって一番困ることは何ですかという問いには、

「お母さんを助けられなくなることです」

と答えた。そこから、母を助けての約20年間の彼女の人生が語られたのである。そして、お母さんを助けなきゃといつも思っている、でも記憶があってもなくても、もう自分は母の役に立っていないと、涙を流したのであった。

彼女はタトゥーを入れていた。正確にはどれくらいの数かわからないが、人目に触れないところに数多く入れていたようである。どのようなタトゥーか聞き、見せてもらえるものは見せてもらったが、それらはすべて、尖った形状やデザインのものであった。とげが刺さったようなものもあった。

カウンセリングのプロセスの中で彼女には、苦労してきたことをねぎらい、もう大丈夫だから、自分で自分の身を守っていいんだよ、自分を罰する必要はないんだよ、ということを繰り返し告げた。また、あなたがお母さんを守らなくてもお母さんは自分で自分を守れるから大丈夫だ、お母さんとあなたは別の存在なんだよ、とも伝えていった。解離による健忘(記憶の障害)が起きないという保証はないが、多分もう起きないのではないかというところでカウンセリングは終結している。