2007年

滞在許可証

ところで、薬師院仁志氏は『日本とフランス 二つの民主主義』の中で、フランス滞在にあたって、外国人に課すフランス語能力の取得義務は、実はフランス的価値への強制同化政策のひとつだと述べている。フランス共和国の原理は「自由、平等、博愛」(憲法第二条)である。この三原則は一七八九年のフランス革命当時から、何ら変更されていないという。

フランスは個人主義の国だ。だから個人を尊重するが、社会を成立させるためには、全員が一個人としての資格で協力しあうことが必要である。それには特定の集団や組織への所属の前にフランス共和国の精神を理解しなければならない。共和国精神を理解するにはフランス語がわからなければならないというわけだ。

フランス革命当時、フランスという国は単一民族国家ではなく、フランス語さえ解さない人も多くいたので、国家の統合原理に、民族的な枠を超えた、普遍的精神として平等性が盛り込まれたという歴史的背景があるとのことである。従ってフランスは非コミュニティー主義、非所属宗教主義で、すべての国民が特定のグループに分割されることなく、個人という資格において平等なフランス国民であることが大前提としてある。

フランスはアメリカのようにアフリカ系とかヒスパニック系、日系、中国系などとのコミュニティーを認めていない。イスラム教のスカーフを被って学校へ行ってはいけないという法律が物議をかもしたが、結局成立した。本来私的な領域であるべき宗教を学校という公的な場面に持ち込んではならないというわけである。

フランスでは民族的、宗教的マイノリティーを保護する政策はないという。どだいそうしたものに関する統計自体がない。従って差別を解消するために社員の一定割合はマイノリティーを採用するようになどという決まりもない。なぜなら理念の上では差別は「ないことになっている」からである。

しかし現実はそうでないことは、これまで頻繁に起きている移民二世、三世の若者の暴動が示している。先日もパトカーと移民系の若者が乗ったオートバイが衝突、若者二人が死亡した事故をきっかけにパリ近郊で暴動が起こり、警官隊と衝突する事件があった。

アメリカの元『ニューズウィーク』誌パリ支局長テッド・スタンガーは『なんだこりゃ! フランス人』という著書の中で、こう書いている。

このように、現実のフランス、日常生活で見聞きするフランスと、フランス人の多くが抱いているフランス像の間の隔たりが大きいことは、アメリカ人にとって驚きである。(中略)アメリカの経験を踏まえて言えば、民族色というものは消しがたいものである。それゆえアメリカでは最近、「〜系アメリカ人」という新しい呼称が定着しつつある。たとえばイタリア系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人と言った呼び方で、これにより各民族出身者はそれぞれの誇りを再確認することができるのである。このアメリカ生まれの新しい呼び方も、よくあるように、早晩、大西洋を越えることになるであろう。なぜなら、フランスにおける民族の問題は解消しそうにもないから。

と皮肉っている。

一方では薬師院仁志氏のように、たとえ現実に難しくとも、辛抱強く理念を追求しようとするフランスの理想主義を日本は参考にしたほうがいいという意見の人もいる。いずれにしてもこの移民の問題について、うまく対処できている国はどこにもないのではないだろうか。

こうしている間にも、スペインには毎日のようにアフリカからの不法移民が船で海を渡って押し寄せて来ているという。スペインはたまらず、ある程度の移民受け入れ政策を採らざるを得なくなったのだが、これに対してフランスなどから「そんな甘い姿勢ではこまる」と非難が出た。しかしスペインは「自国の移民政策もままならない国にとやかく言う権利はない」と返したとか。

近い将来、日本も移民問題に直面するときが必ず来るであろう。そのときにどう対処したらよいのだろうか。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。