やっぱり本が売れない

申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だから、メディアがちょっと取り上げてくれただけで大喜びして報告したりしていたので、その方々は私が「売れない」ことをくよくよと悩んだり、苦にしていることは十分に察しておられたと思う。

「私にはやはり力がないのだ」と思うしかなかった。文章を書く力はともかくとして世の人に伝える力などないのだ。

そのうえ東日本大震災をきっかけに、自分らしい晴れやかな気持ちをすっかり無くしたあとだけに、いただいた「時分の花よりまことの花」という一行がぐさぐさと心を抉った。

「本が売れる、売れないなどと、なにをくよくよしているのだ。いまさら“時分の花”でもあるまい。そんなことより、もっと思いを深くし、心を磨き、魂を育てよ。そうすることこそが“まことの花”を咲かせるということではないのか。求めるべきものはそれではないのか?」と叱られた気がしたのだ。

たしかにそうだった。本当に私はなにをうろうろとしていたのだと思った。紹介者や出版社に申し訳ないとか、了以を何とか世に知らしめたいとか、いろいろ理屈を言っているが、つまるところ本が売れることで得る“時分の花”にやはり目が眩んでいたのだ。

了以の思いを世に伝えるためにはまだまだ力不足なのだ。もっと自分の魂を磨き、深め、育てなくては無理だったのだと、そう思った。了以を書くときの思いにもう一度立ち返り、了以の志を語ってもおかしくないだけの人間になれよ、そう諭されたような気がした。

人として様々なことを経験し、考え、悩み、そこから魂を磨き育てて成熟させる。なにがあっても揺るがない不動の心を育てていくという、この世に生まれてきた大切な理由を忘れていたつもりはなかったが、やはりどこか華やかな“時分の花”を求めようとうろちょろしているのだろう。

いまさら“時分の花”というのも笑止な年齢になっているのに、である。そんなことより一刻も早く「魂の成熟」という、“まことの花”をこそ求めなければならない時間が迫っているのだということをバシンと心に叩き込まれた気がしたのである。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『母の説法 人生で大切なこと』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。