このときのことをよく考えてみますと、(自分で不本意に)スピードメーターをサッケードでとらえて視線を向けていた時間は、おそらく30~40ミリ秒間以上、60~80ミリ秒間以下程度ではないかと思っています。

このとき、スピードメーターに視線を向けた瞬間は、周辺視野での映像は見えていましたが、中心視野でのメーターの数字は見えず、ただ暗い感じでしたが、次の瞬間バックミラーに視線を移動させた瞬間、周辺視野でバックミラーが見えているその中央に(明るい)メーターの数字が見え、さらにそれがしばらく持続したのです。

中心視野でバックミラーに視線を移動してから、明るいスピードメーターの数字が見えていたその時間は、スピードメーターに視線を向けた時点から、おそらく80~百数十ミリ秒後くらいで見えはじめ、その後170~200ミリ秒弱くらいの間持続して見えていたように思います。

このことは、いったん視線を向けた時点で網膜にスピードメーターの数字の視覚情報が入り、それが視線を移動させたバックミラーのところの視界で視覚化した(見えた)ということと思っています。つまり、網膜にいったん入った(中心視野での)視覚情報が、処理過程を経て視覚感覚として成立し、視線を他に移したところで見えたということと思います。

さらに実際にメーターの数字をとらえていた時間よりも長く見えていたように感じましたが、これはのちほどふれますが視覚情報保存(視覚持続)によって視覚が持続したのではないかと考えています。

通常は、視線を向けたところで見えるわけですが、いったん網膜に刺激が入ると、それは脳に到達し、一連の情報処理が進行し、視覚化される(見える状態となる)はずで、ここでもし視覚化される直前に視線を変えたとした場合、その瞬間というのは、理論的には視線を変えるその直前に網膜に入っていた刺激がまだ脳内にある状態と考えられるわけです。

それなので視線を変えた瞬間の視界の中に、その直前に入っていた脳内の視覚情報が視覚化される(見える)という現象が、中心視野で起きてもおかしくないと考えられるわけです。

でも実際にはふだんこのようなことは自覚されません。ふつうは視線を移動させたところの映像しか見えないでしょう。これはなぜなのでしょうか。いったん網膜から入ったはずのこの直前の視覚情報はどうなってしまったのでしょうか。

もちろん視線を移動させてから、その直前の映像が見えたとしたら、ふつうは不自然となるでしょうけれども(そこでの周辺視野の映像の真ん中に、直前の中心視野での映像が入り込むことになるからです)。これは、直前の中心視野での映像が、次に視線を移動させたところの視界の中に入ってこないように脳が調節しているということなのでしょうか。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『「意識」と「認識」の過程』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。