フェリー三十分で半島南端へ

当日は移動日で観光地は通らずにイタリア本土へ渡る。海峡の街メッシーナに着いた。最短距離三キロだが橋がまだない。両岸がもろい石灰岩なので橋柱を建てられず、吊り橋が計画されているという。その場合、日本の技術でないとできないだろうと言われている。

メッシーナは第二次大戦のエピソードがある。シチリア南端へ上陸したモントゴメリー司令官の英軍は東岸を北上して、またパットン司令官の米軍は遙かに遠い西岸・北岸を迂回して、メッシーナで同時に合流する予定であった。英軍が苦労してメッシーナに到達したら、そこにはパットン機甲軍団がとっくに着いて待っていたというアメリカ映画の話だ。

日本に例えれば沖縄の位置にある相当するシチリアともここでお別れだ。三十分でフェリーは海峡を越えた。

さてイタリア本土である。埠頭付近に大きな鉄道基地があったりして本土という実感がする。丘陵地を一八〇キロ走って、山間の大学都市コゼンツァに到着して昼食である。初めて「牛肉」のシチュウ風煮込みが登場した。また前菜のポルティーニ(きのこ)入りリゾットはイタリア名物で、デザートのイチジクも名物である。大学というと聞こえがいいが、旧市街は中世風のひなびた街で、石造に欧州的懐かしさを感じた。

この辺は過疎だが、イタリア全土の少子化も厳しく、出産数も一・一人で、政府は第二子に手当を出しているという。この国も文明病か。

ここから二六〇キロのファザーノまでは特に記すこともないが、軍港ターラントまではイオニア海沿いで、イタリアを長靴に例えれば「土踏まず」に相当する。よくぞここまで来たものだと感慨を催す。

道路は僻地にもかかわらず六車線の立派なもので、制限速度は八〇キロである。しかし日本のハイウェーと違って平地で高架でない。だから交差する道路は上に架橋させているので、住民は不便なことだろう。舗装規格もまちまちで時々バスがドスンと跳ねたりして、日本より雑な仕上がりだ。高速道路というより自動車専用道路と言うべきであろう。公団運営か民営かは聞き漏らしたが、料金所はしっかり存在している。ただし営業車に多くETCを導入しているのは日本より進んでいて、経費節約には全力を尽くしていることは敬服させられる。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『21世紀の驚くべき海外旅行II』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。