1998年6月27・28日(土・日) スコットランド夜行列車旅行記(その1)

-ハイランド氏族民の反乱と、イングランドによる弾圧と迫害-

21時30分発ロンドン発の寝台列車(2人部屋のスタンダードクラス・コンパートメントですが洗面台もタオルもついています)で翌朝6月27日(土)8時40頃にスコットランド・ハイランド観光の中心地インヴァネス着です。朝食はクロワッサン※注1)とオレンジ・ジュースにコーヒーか紅茶でベッドにポーターが運んできてくれます。

先月の湖水地方ドライブ旅行でスコットランドの歴史研究をお約束しましたが、今回は自然景観に優るハイランドのドライブ(2日間で630マイル=1,014キロ走りました)が中心でしたので美貌のメアリー・スチュアート(スコットランド女王在位1542年~1567年)は来週のエディンバラ紀行でカバーすることとして、今回はハイランドに関連する範囲に限ることとします。

 

インヴァネスの近くにカローデンの古戦場があり、1746年にボニー・プリンス・チャーリーが率いるスコットランド・ハイランド地方の氏族民を中心とするスコットランド軍とイングランド軍との最後の戦いが行われた場所で、ビジター・センターには戦いの解説資料と映画上映があります。カローデンの戦いは戦いというより殺戮というべきもので、スコットランド人がイングランド人と混同されるのを嫌がる理由がよく分かります。

その後に続く弾圧と迫害(タータンの民族衣装もバグパイプも禁止)の結果伝統的氏族社会は破壊され、多くのスコットランド人が新大陸に移民し、1776年のアメリカ独立戦争開始時には植民地人口の約1/4はスコットランド人でした。新大陸のスコットランド人はハノーヴァー朝のジョージ3世(在位1760年~1820年)に対し先祖の恨みを晴らしたことになります。

インヴァネスからはネッシー伝説のネス湖に沿って西に向かいアイルランド海に面するフォート・ウィリアムまで走り、さらにそこから北上しフェリーでスカイ島に渡りました。フォート・ウィリアムはオレンジ公ウィリアム(イングランド王在位1689年~1702年)によるイングランド征服後、スコットランド人の反乱に備え整備、強化された城塞から取られた名前です。

途中グレンフィナンは1745年ボニー・プリンス・チャーリーがスコットランド貴族、ハイランド氏族長を招集しステュアート朝復興の旗を初めて掲げた場所で記念碑が建っています。この辺りはハイランド地方でも特に特色ある自然景観で、低いヒースの茂みと暗緑色の草原が急峻な斜面を覆っています。

スカイ島はまさに最果ての島(もっとも隣に座っているロンドン支店副支店長<会計、監督機関担当>Pさんによるとさらに西にはヘブリディーズ諸島がありそれこそ何も無いそうです)で、Pさんがロック・クライミングをした岩場もありグレートブリテン島の他の地域とは全く違う土地という感じです。