迷いと悩み

大阪道場でご奉仕をしている内で、各地の市民会館等を借りてビデオ上映会、相談会を開催し、三十分から一時間程度のビデオ上映中大勢の人を後ろから見ていると、足をさすったり腰をさすったりしている人を多く見かける、中には女性の奉仕者はしゃがんで腰をさすってあげている人もいる。

こういう場所に集まって来る人たちは映画とかビデオを見に来るのではなく、何らかの悩み、体の痛み等をかかえている人たちであろうと思い、映画、ビデオを観てもらうより、少しでも痛みをやわらげることができればどれほどありがたいだろうと思い、私の悩みの始まりである。

このように悩み始めると私の体に異変が起こった。

お不動さんと阿含宗のおかげで体の不調など忘れてしまっていた。両足の先がむくみ始め二、三日すると足指の間の付け根、股の部分全てに膿が溜り始め、日を追う毎に膿の塊が大きくなり、数日間は仕事をしていた。

仕事をしている間、私はずっと平熱であったのだが、痛みがひどくなり、靴が履けなくなったので休んで横になるととたんに高い熱が出た。低いときで三十九度、高いときは体温計の目盛を超えている。

此のときばかりはまさに前後不覚である。低いときは寝転がって本を読んでいた。

以前一度は目を通している本をもう一度読んでみた。退屈しのぎといってもいい程度である。必要なときにしか必要なものは目に入らないものらしい。

管長が書かれた『念力』という本に修行が進むと人様の病も治すことができると書かれている。喜んだのもつかの間、毎日の練行と書かれている。

毎日の千座行、最初の護身法だけで慣れてきて七、八分、印袋に手を隠し、

ン、

ン、

ン、

で済ませるわけにはいかないのである。

最近は伝法会で習った大虚空蔵菩薩念誦法も毎日行っている。一年目に習った梵字、二年目の四度加行、聖如意輪観自在菩薩念誦法は休日に練習したり、しなかったり。是では完全に落ちこぼれである。他人様の病を癒すことなど遥か遠くに感じまた熱が出て眠りに落ちた。

目が覚めると家内が不安そうに顔を覗き込んでいた。目が覚めた私を観て少し安心したのか大きく息をして、熱さましの薬を買ってきたから飲めと言う。

薬はいらないと言うと、「何日も高い熱が出たら頭がパアーになる。お父さんがおかしくなったら私ら路頭に迷うんやで、何としても飲め」と言う。

それにしても何か臭い。二人でクンクン臭いの元を探すと私の足である。八箇所膿が溜まっている内、四箇所から膿が出ていた。絞り出すようにふき取り残りの四箇所はそのままにしておいた。家内が言うことももっともだと思い薬を飲むことにした。

金属製のスライド式容器に錠剤が十個入っていた。説明書きを読むと一度に三錠飲めと書いてある。薬を滅多に使用しない私は半分でよいと思い、一錠と半分くらいを飲んでまた寝ることにした。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『市井の片隅で』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。