永禄二年(西暦一五五九年)

河内戦線から援軍としてやって来た松山重治と合流した儂らは、筒井氏と同盟している井戸良弘の拠る井戸城を攻略。その余勢を駆って奈良盆地を西南に縦断し、万歳城、二上山城をも落城させた。どの戦場でも百挺の鉄砲は威力を発揮した。

「さすがは音に聞こえた松永弾正殿じゃ。聞きしに勝る戦いぶり。何と言うても(いくさ)が鮮やか。それに鉄砲を使うなど戦い方が斬新じゃ」

松山重治から絶賛を浴びた。

「いやいや、松山殿がご助勢くだされたからこその勝利でござる」

少々照れながら儂は言葉を返した。

返す刀で東に兵を進め今度は奈良盆地を横断。十市氏の十市城を攻めた。十市勢が城下の苅生口に討って出てきたところで一戦となり、これも百挺の鉄砲で蹴散らした。

儂らはなおも東へ向かい、隣国の伊賀・伊勢へと抜ける街道の福住峠まで兵を進めた。

「これで奈良の国中(くんなか)と東山内はほぼ手中に収めましたな」

「これも超昇寺殿の先導のお陰」

常に先陣を務めていた超昇寺殿は得意げにしたり顔をした。

夏から秋にかけて、まさに縦横無尽に奈良盆地を討ち廻った儂らは、次々と降伏してきた中坊讃岐守、越智氏、箸尾氏ら奈良諸氏を従えて、春日社に社参した。

「殿、ここまでことが上手く運んだのは、春日社の加護があったからに相違ござらぬ」

「左様、春日の神様は我らの大和入りを歓迎しておられるのよ」

家臣の加成道綱と本庄孫三郎は社殿に向かい柏手を打ち、信心深げに(こうべ)を垂れた。