永遠の阿修羅

私の高校時代は、楽しい思い出が一つもない。高校は、会津若松市にある女子進学校だったが、卒業までこの高校には馴染めなかった。

原因は、父の友人の家に下宿したことから始まった。その家は、会津若松では由緒ある家だった。子どものいない伯母さんは、私の入学した高校の先生だったが、最初から居心地が悪かった。

一歳年上の、実業家で政治家の父を持つお金持ちのいとこも一緒に下宿していたのだが、比較されることも貧乏な我が家に蔑みの眼が向けられることも耐えがたかった。母が哀れであり、父への侮辱も露骨すぎた。

成績が悪かったので、私のテストの成績を私より先に調べてきた伯母さんに「今回もこんな成績しか取れなかったの」と叱られ、内緒で英語の先生の所に通わされるようにもなった。

私は頭の悪い田舎者であることを自分でも自覚していたが、人格まで否定されているようで萎縮していった。

また無意識であったが、社会的地位を獲得した人の傲慢さ、お金持ちを鼻にかける人の嫌らしさ、成績だけで人を見下す人の人間を見る眼などに抵抗の気持ちを持ちながら、それに立ち向かうだけの強い精神力を持っていなかったので、いつもうつろだった。

勉強するふりはしていたけど、勉強する意欲もなく、朝起きると登校拒否のようにお腹が痛くなる日もあった。毎日が息苦しくて仕方がなかった。

親しい友人もできなかったし、部活もしなかった。放課後は一人、図書館で過ごすことが多かった。山奥で天真爛漫に暮らしてきた者にとって、抑圧意識が私をいつも苦しめていたのかもしれない。

私がそこまで過剰に反応したのは、私自身の性格とたぶん生い立ちのせいもあったのだろう。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『永遠の今』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。