ニノイ・アキノの到着

その頃、ニノイ・アキノを乗せた台北発の中華航空八一一便はマニラ国際空港へ向けての最終着陸態勢に入っていた。ニノイの携帯するパスポートはマーシャル・ボニファシオ名義の偽造品であった。

この偽名にはニノイの特別な思いが込められていた。マーシャルは自分が逮捕されるきっかけとなったマーシャル・ロー(戒厳令)から、ボニファシオは七年間の牢獄生活を送ったフォート・ボニファシオ(国軍基地のある地名で、ニノイの収監されていた刑務所がある)から取った名前である。

この帰国を前にニノイはあらゆる人たちから「身の安全のためにフィリピンに帰ってはならない」と忠告を受けていた。アメリカのフィリピン大使館もマルコスの命を受け、ニノイのパスポート発給を拒み続けた。イメルダ夫人もエンリレ国防相も「暗殺計画があるから帰国するな」と再三にわたる警告をした。

しかし、ニノイの決意はゆるぎのないものであった。来年の選挙に備えるならば今しかない。マルコスの健康状態もよくないと伝え聞いている。そして、フィリピンの置かれている状況も、自分の健康状態も。全ての状況を考慮すると、今しかない。今が待ったなしの絶好機なのだ。

ニノイは予め自分がフィリピンに帰るとどのようなことが起こるのか、あらゆるケースを想定しどのようにすればよいかを考えた。そして、自分の身に何が起ころうとも、これから自分が被る事の真実を世界に伝えようと外国人記者団をマニラまで随行させることにした。アメリカのABCテレビ、UPI通信社、タイム誌、日本のTBS等の取材チームである。

前の晩は台北の圓山大飯店に宿泊したが、そこでもインタビューを受け、ニノイが今フィリピンに帰らねばならない理由や着後起こり得る次の三つの事について話した。

入国が許可されずそのまま台北へ送り返される入国は許されるがそのまま刑務所へ護送される何者かに暗殺される三番目のケースでは、事は一瞬の内に終わるのでカメラを回し続けていなければだめだよ、とカメラクルーたちにアドバイスしていた。

アキノ自身としては二番目の確率が一番高いと見ていたようで、空港から刑務所へ直行してもいいように着替えと洗面用具を入れた小さなショルダーバッグを用意していた。台北からマニラへ向かう機内でも外国人記者団からの取材を受け、テレビカメラは回っていた。

そしてマニラ上空に近づいた時、ニノイは防弾チョッキを身に着けた。前日のインタビュー時にも防弾チョッキを用意していることを口外したが、頭を狙われたら一巻の終わりであることは理解していた。高度を下げていく機内でニノイは胸のロザリオをはずし神に祈りを捧げた。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『サンパギータの残り香』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。