娘の名を真理という。父親は、深川界隈を仕切る丸に幸いと書いて丸幸という屋号の香具師の親分だったので、その当時から付き人だった岩淵郭之進が深入りしないよう義政に諫言した。

それで義政が借りていた長屋を引き払おうとした最後の夜に、義政がいなくなると予知感が働いた真理が長屋に押し掛け、自ら迫って関係を持ち、その一回で真理が妊娠したのである。

丸幸の親父は怒った。男は誰だと言っても、真理は頑として口をつぐんだ。それでも薄々わかっていた。最近周りからいなくなった奴だ。だが、素姓が知れない。子分たちが血眼になって探したが見つからなかった。それもそのはずで、その頃には、義政は前藩主義重の急逝で藩主座に就き、初のお国入りで旅立っていたのだ。

義政は真理のことが気になっていた。それを察した岩淵郭之進が諸星玄臣に調べさせたところ、真理が男の子を産んだことがわかった。

真理の母親の才は、真理のお腹が目立つ前に、お腹の具合が悪いから医者に行くと言って駕籠に乗せ、そのまま婆やの親戚がいる本所松倉町のほおずき長屋に連れて行った。婆やの親戚とは大工の留吉の女房のお葉津である。そこで真理は父無し子を産んだ。男の子で、名前を義政の一字をとって一義とつけられた。

司にとってほおずき長屋は馴染みの長屋で、江戸にいたときに住んでいたところである。長屋全体が家族のようなもので、真理の事情を知ると、長屋のみんなが世話をしていたという。

丸幸の親父は時間が経つにつれて、一途になると何をするかわからない真理を、あいつの母親も同じだったと思いなおした。そして次第に怒りが収まると、今度は孫の顔を見たいと思うようになった。それで、才に懇願して、真理を親子もろとも深川に引き取った。

義政は一義のことを気にはかけていたが、何もしてやれなかった。そのうち、一義のことが上屋敷の者たちに知られるようになったのである。これが騒動とならないはずがなかった。

義政の正室には子供がいなかったが、側室に男の子が生まれた。この取り巻きが、将来に禍根を残さないようにと、一義を排除しようとしたのである。

その企みを知った正室は義政に知らせた。そんなわけで、司が江戸に向かうことになったのだ。

一義は、子供ながら、自分だけ奇禍にあうことを不思議に思っていた。かどわかされそうになったこともある。そのときは、一緒に遊んでいた仲間が叫んでくれて助かった。侍が乗った馬に蹴られそうになったときも、仲間が袖をひっぱってくれて、間一髪で助かった。橋げたから掘割に落とされそうになったときは、近くにいた侍が相手を叩きのめしてくれて家まで送ってくれた。それが司であった。

「今日は、このまま帰りますが、この次は正式なお迎えとして参るでござろう」

それは有無を言わさぬ迎えではなく、覚悟を決める猶予を置くということだった。義政は是が非でも一義を藩邸に迎えようとしたわけではなかったのだ。

一義は母親から父親のことを聞いて、数奇な運命に目をみはる思いであったが、自分は変わらないのに急に周りが変わったように思えた。だが、自分は武家の社会にあこがれはなく、母親もそれを望んでいないことを知ったから、はっきりと断った。

そういうことがあって一義の件は落着し、加持惣右衛門は義政の信頼を得たのだ。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『祥月命日』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。