第一章 傷を負った者達

僕は人間が嫌いだ。小学、中学、高校とイジメられてきたからだ。そのせいだろうか? イジメを客観的に見てしまう。

小学四年の頃だったと思うがイジメが表面化してきた。

体育の授業が終わり教室に戻る。陽光が教室の窓から無遠慮に照らされる。光の中には埃が舞い上がり、むせ返る臭いが鼻の奥に突き刺さる。苦手な体育の授業が終わり、僕は肩を落とし疲れた体で陽光を振り払い教室に入る。

いつもの教室。

いつもの臭い。

そして、いつものイジメ。

机の中にしまっていたはずの教科書が机の上に全部置かれている。疲れた体により重力がかかる。もちろん、僕が出したわけではない。僕以外の誰かに決まっている。僕は横目で廊下を見ると、廊下から首だけ出してニヤニヤ笑うイジメの首謀者がいた。まあ、奴らの仕業だろうがこれといった証拠がない。奴らは馬鹿だがアホではない。

しかし、はっきり言って気持ちが悪い。

人間は何故、己の保身のためにここまで残酷になれるのだろうか? 腹から胸、胸から喉、喉から口外へと怒りが入り交じった溜息が熱気をおびて漏れていく。周りの生徒の反応は特にない、いつも通りの日常なのだろう。

別にイジメを見て見ぬふりをする外側の人を責めるつもりはない。それが当たり前であり、己の身を危険に晒してまで警察の真似事をする方が珍しい。だから、イジメを見ているのも同罪だなどと責められない。そう、人が人を助けることは大変に勇気がいる行為なのだから。

とは言え、大人になった今も、人が人を助ける心を忘れたくないものだと思う。論語にこんな言葉がある。

『義を見てせざるは勇無きなり』人を助けるべきだと知りながら行動に起こさないのは勇気がないことだという意味だ。

故に正義にはそれだけの価値がある。しかし、現実はどうだろうか?

社会に出てもパワハラがある。要はイジメだ。悲しいかな、そのような行為をする人間も一部にはいる。そして、それを見て見ぬふりをする。