組合と非組の対立 ~社会科VS体育科~

さて、組合の中核は社会科のS氏、非組のそれは体育科のY氏であった。ちなみにS氏は生徒の成績評価で、「オール5」をつけたことで全国的に反響を呼んだ人物でもあった。私の初任者としての立ち位置は非常に微妙なものだった。なぜなら、教員になって初めて任せられた部活動顧問は剣道部で、その部の顧問として非組の大ボス、Y氏が君臨していたからだ。ここにすでにY氏との間に上下関係が否応なく成立した。

一方、私は社会科の教員でもあることから、S氏とは、教科会や教科研修会の度に定期的に顔を合わせなければならない状況にあった。そんな中で、八方美人と化して、苦しい立ち居振る舞いを演じなければならなかった。このような事情もあってか、ある意味、組合に入る機会を逸し、教員人生において、生涯、"非組"で通すこととなった。

生徒指導は命がけ ~「ぶっ殺すぞ!」と留守電に~

教員集団もさることながら生徒たちも凄まじかった。そして校内でも"身の危険"を感じることもしばしばあった。男子はリーゼントヘアに剃りこみを入れ、眉も剃っていた。女子は口紅を塗り、ロングスカートの出で立ちで、薄い学生鞄か紙袋(万引き用?)〈注1〉をいつも携行していた。ある意味、"都会の学校"だった。

着任1年目の数か月が過ぎた頃だっただろうか、放課後、校舎内を歩いていると、廊下の向こうの方から丈の長いスカートの女子生徒が、私の方に笑みを浮かべながら近づいてきた。そして彼女は一瞬、私の前で立ち止まったかと思うと、「先生、ネクタイが……」といって、優しく直してくれるようなしぐさをしたかと思うと、いきなり態度を豹変させて、ネクタイを締め上げ、「いい気になって、調子こいてんじゃねーよ」と、ドスを利かせた声で吐き捨てるように去って行った。

振り返ってみれば、思い当たる節がないわけではなかった。私は4月の着任式で、全校生徒に向かって、「この"フレッシュ"な気持ちを忘れることなく頑張っていきます」と挨拶した。当時、テレビCMで「ファミリーフレッシュ」という商品名の洗剤が流行っていたこともあり、この挨拶以後しばらくは、廊下、授業など色んな場面で、「フレッシュ先生」という女子生徒の黄色い声を浴びることが続いたからだ。

さて、生活指導面では、最初が肝心とばかり、かなり強気の姿勢で臨む自分がいた。ある日の授業中、私のこの強気な態度に男子生徒たちがキレて、何人もの生徒(全員剃りこみの連中)に取り囲まれて袋叩きにされる寸前までいったことがあった。またある時は、学校内に徘徊する不良生徒(彼らは授業を中抜けして、校内を徘徊しトイレで煙草を吹かしていた)を許してなるものか、という私の発言がいつの間にか彼らのボスに伝わり、深夜、自宅の電話に「よくも若い衆をかわいがってくれたじゃねーか」「ぶっ殺すぞ!」と、何度も何度も、繰り返し繰り返し、毎日毎晩、嫌がらせの電話があった〈注2〉。

そうしたことがしばらく続き、気がめいってしまった時期もあった。……「ここで勤まれば、どこでも通用する」、先輩教員の口癖が今でも聞こえてくる。