重太郎は惣右衛門の指摘に、物事の視点を変える大切さを学んだ。視点を変えなければ、無駄な動きを見つけることができないと言うことだ。

また、それまでと格段に違ったのは、惣右衛門から北軍流の技を教えられて、間合いと見切りに自信が持てるようになったことだ。

北軍流とは河北藩に伝わる一人の敵に対して三人で槍を刺突して倒すという戦国時代に編み出された戦闘技で、刺突を基本とする。重太郎はその刺突で、いかに踏み込むか、いかに体を、さらに腕を伸ばせるか、そして引くかを考えさせられた。それには自分のみならず相手の身長や腕の長さも関わる。対峙したとき、次の動作への繋がりを考えて、足を運べ、腰を使え、腕を伸ばせ、切っ先は一尺も必要ない。一寸届けば十分なのだと教えられた。

「頭のなかで考えているだけではものにならぬ。それを体が覚えるまで、鍛錬しなければな」

さらに、付け加えられたことは、与えられたものをこなそうとするだけでは上に上がれない。それだけでは教える者を越えることができないと言うのだ。

重太郎は道を歩きながらでも、惣右衛門が教えてくれたことを夢中になって反芻した。それで、自分はいままで初動動作に難があったのかもしれないと気づいた。

相手と向かいあったとき、対峙する、構える、動くと一連の動作がある。そう考えたときに、「構えるとは何だ」と思った。

相手の力量を図るためか。とすれば、対峙するときに相手の力量を見極めれば構えはいらない。そして、一気に静から動に動くのだ。そのとき、どこにも力みなく、滑らかに体を動かすには―などと考えるのだった。

そして実際に、歩きながらでもつま先の方向を変えてみて、足ばかりでなく、体のどこに力がかかるかなどを確かめ、人がいなければ、それで体を右に左に飛ばしたりした。

その後、重太郎の動きは見違えるほどに流れるようになり、流れると切っ先の速さが違ってきた。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『祥月命日』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。