1998年6月20・21日(土・日)       バルセロナ紀行

-ガウディ建築、モンセラート修道院とフラメンコ・ショー-

 

バルセロナはなんと言ってもガウディのサグラダ・ファミリア(聖家族)教会で有名で、1882年の建築開始以来今なお建築中です。何かで読んだ記憶がありますが「建築中なのが売り物であり、完成するつもりはないんじゃないか注1」と言われています。

ガウディは聖家族教会以外にもグエル公園、高級邸宅等を残しています。彼の独特の美意識は日本人の感覚にはちょっと合いませんが、抜けるような青空と地中海の明るさを見ると、この地が生んだダリ、ミロ等の芸術家とも通じる共通性があるような気がします。

昨年11月に行ったマドリッドは乾いた大地に浮かぶ埃っぽい町でしたが、バルセロナは地中海性気候で、暑くなく寒くなく観光地としての人気が高いのも納得できます。

今回の旅行は金曜日夕方発の飛行機でバルセロナに到着、土曜日、日曜日の2日間を市内観光(夜はフラメンコ・ショーと闘牛)、月曜日にはバルセロナから60キロの岩山の修道院モンセラート半日観光(黒い聖母と世界最古の少年合唱団)に参加しました。

バルセロナはフランス国境沿いのスペイン北東部の自治州カタルーニャの首都で、ハンニバルの根拠地であったローマ時代は別として中世以来の歴史はフランク王国のシャルルマーニュ大帝(在位768年~814年)が8世紀後半にイスラム教徒との戦いに備え辺境伯領を置いた時に始まります。

歴史的、言語的、人種的にはフランスとの共通点が多く、そのスペインへの統合は昔からマドリッド中央政府の悩みの種でした。先月のアムステルダム紀行で1566年から1648年までのオランダ独立戦争および三十年戦争のことをお話ししましたが、戦争遂行のための重税に反発したカタルーニャ住民は1640年フェリペ4世(在位1621年~1665年)に反乱を起こし、20年近く中央政府を苦しめました。

オランダ独立の成功には、財政破綻、カタルーニャ反乱等のスペインの国内事情も寄与しています。1701年からのスペイン王位継承戦争ではハプスブルク家側につき1714年には1年あまりの篭城戦に敗れ自治権を剥奪され、また1936年から1939年のスペイン内戦時には共和派に属しフランコ将軍に痛めつけられた経験も持ちスペイン国内でも特に独立指向の強い地域です。


注1:最近ガウディの亡くなった1926年から100年後の2026年に完成しようという構想が進んでいるようです。