1校目 中部地区の専門高校

昭和57年4月、いよいよ教員生活がスタートした。新米教師の凄まじいドラマの始まりである。初任校で、まず配属されたのが教務部というところであった。その部署を2年間務めて、3年目から学年に入り、受け持ち学年を卒業させて、自らも異動という名の卒業となった。よって、当該校の在籍は5年間ということになる。

組合と非組の対立~社会科VS体育科~

最初の配属校は、中部地区の専門高校であった。ここの教員集団は、組合員と非組合員の対立が激しく、職員会議も二派に分断され、座席も”色分け”されていた。最初はそうとも知らず、空いている席に適当に座っていると、先輩教員から「その席は組合の人間が座る席だ。いつからお前は組合員になったんだ」と叱責というか恫喝された。

よくよく考えてみると、職員集団の6割が組合系、4割が非組合系(非組)という構図であった。当時、東京都全体では、ほとんど9割以上が組合員であったといわれている状況からすると、初任校は非組がわりに強かったといえる。そのような中で、私は最終的に”非組の道”を選んでいくこととなる。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『ザ・学校社会 元都立高校教師が語る学校現場の真実』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。