やはり、会社では何も解決はしないだろう。となると、映画館が解決の糸口になるかもしれない、と思えてきた。最後の記憶のある映画館に行ってみようと思い、仕事帰りに立ち寄った。

映画館の警備員は、私のことを「覚えていない」と言った。大した人数もいなかった映画だったけど、いちいち観客の顔まで覚えていなくても不思議ではなかった。とはいえ、私は何か覚えていないか食い下がった。

警備員は、

「そう言えば、寝ていた観客がなかなか起きなかったことがある」

と、言い出した。

私は体を乗り出して、

「起きなかった観客は、その後どうしましたか?」

と、聞いた。

だが、警備員は、

「起きないから、次の映画まで寝かせておいたが、最終上映のあとはいなかった」

と言っただけだった。それ以上の情報は得られなかった。

おかしなことに、私はまた振り出しに戻ったみたいだ。

同じところで止まっていた。

警察に言うべきか迷った。事件かどうか全くわからない状況なので、言ったところで大きな進展はないように思えた。たかが、個人の記憶が曖昧だからといって、警察が動いてくれるように思えなかった。

だから、私は一人で解決するしかない、という気持ちになっていた。

曖昧な記憶がなぜ、三週間もの空白の記憶になったのか?

謎だらけだが、警備員の言葉が糸口になりそうだ。

『いなかった』ということは、私は歩いて映画館を出たはずだ。誰かが連れ出したとしたら、警備員が気づくはずだから。体格からいって、私は大きい方ではないから、目立たず歩いて出たのだろう。だとしたら考えられることは、誰かによって催眠術にかけられたか、あまりに眠くて半分寝ながら歩いていたかだ。

催眠術!

それもあり得る話だ。記憶もなく歩いて、催眠をかけた人の言うとおり動くこともあるだろう。現実的に考えて、そういったことはあり得ないはずだが、辻褄は合う。あまりに自分の置かれた現状が非現実的なので、あり得なくもないだろう。

最悪だが、それも視野に入れて考えた。

だが、誰にかけられたのか?

全く見当もつかなかった。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『いたずらな運命・置き去り 【文庫改訂版】』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。