寿司屋の親爺

婦人は静かに語り始めた。

「私たちは両親を捨てたんです。指摘された頃です。小さい子供がいました、私は子供を育てるため、食べていくため、屑買をしたり端布を集めて着物を仕立て、人様には言えないような苦労を重ねて和裁の先生と呼ばれるようになり、家を支えてきました。夫はたいした努力というよりも、何にもしなかったといった方がいいと思う。家にお金を入れてくれたことも記憶にありません」

私はお礼を言い喫茶店を出た。

暗い街を暗い気持ちでこぐ自転車のペダルが重かった。

女性は強いと思いながら。

後日先生からとショートケーキを姉が持ってきた。占いのお礼として貰ったものはあとにも先のもこれだけである。

夏季伝法会口伝

伝法会で習ったことで一切資料のないものがある。口伝である。林の中で、九字を習った。井形の九字と星形の九字で、印と真言と気吹きで型をなす。

九字にも伝承により少しずつ違いがある。阿含宗で習った九字を中心に考えると行者に伝わる九字は阿含宗で習ったムドラーに近い。身体全体で九字を切るようである。

神道に伝わる九字は少し形が違う。阿含宗で習った打ち込みが無く切り結ぶのである。おなじ伝法会に参加していても好みが違うのか力の入れ具合、練習量の違いが人によって違いが出てくる。私は占星術ばかり楽しんでいた。九字はあまり練習しなかった、というより少し怖い気がしたのである。

九字を練習するときは自分の名前を書いて壁に貼り、それに向かって気を散らさないように練習するように習った。

なぜか神に代わりてわが意を通すというように感じて怖い気がしていた。

同じ道場から同じコースで習った人がいた。年も近かったのでご奉仕中いろんな話をするその人は九字の練習が一番楽しいと言う。ある時期から全く見かけなくなった。

久しぶりに姿を見せたのは三か月も過ぎた頃だろうか、どこを患っていたかは失念したが入院していたと言う。