三歳下の息子は全く違うタイプで、幼い頃から食物アレルギーがあったため少し過保護になってしまった。要領よく無難な道を選ぶ傾向にあったが、中学生の頃から成績が伸び悩み、学習意欲がなくなってしまった。高校は何とか合格したが、大学へは行かないと言い出し、毎夜遅くまで話し合った時期もある。

日頃から学歴偏重や有名企業志向を批判しているのに「やっぱり大卒でないと職業や資格の選択肢が狭くなるから」と息子を説得しようとした穂波は、自己矛盾にも悩まされた。親戚や友人から母親としての自分をどう思われるかについても気にしている自分自身に落胆した。最終的には彼に「本当にやりたいことは何か」と考えさせ、[ゲームクリエイター]を目指す東京の専門学校に進ませることになった。悩みに悩んで、最後は反対する太一を説得する側に回った。今でもそれを認めたことが正しかったのかわからない。

結局彼らは親の勝手な思惑どおりには決してならないのだ。しかし小学生の頃はたまに穂波が学校行事に参加できないことがあると露骨にふてくされていた彼らが、高校を卒業する頃には「仕事頑張ってるお母さん、今は自慢だよ」などと言ってくれるようになった。

ホストファミリーとしての一週間が過ぎ、穂波はまた副社長から呼ばれた。

ためらいがちに木製ドアをノックすると、「どうぞ」と副社長の上機嫌な声が迎えた。

「穂波君、あの子たち馴染んでいるようじゃないか」

「ええ。最初は戸惑いもありましたが、私も家族も思いの外楽しんでいます」

「よく受け入れてくれたね。実は、君に相談したいことがある」

「はい。今度は何ですか」

「近いうちにカナダの輸入住宅とインテリア専門の子会社を立ち上げたいと考えている。今輸入住宅の窓口になっている営業課長とともに、君を取締役に推薦したい。社長にも伝えてある」

「は? 私は雑用係です。ホストファミリーはできても、取締役なんて論外です。小泉部長もいらっしゃいますし」

「なぜだろうね、彼には任せられる気がしないのだよ。君ならどんな課題にでも挑戦してくれそうだ。頼むよ、穂波君」

「ありがたいお話とは思いますが、考える時間をください」

気持ちの整理ができないまま総務課に戻ると、労働組合から出ていた賃上げ要求に対する回答案を作らなければならなかった。表計算ソフトを使ってベースアップのシミュレーションをしていると、老眼で目がかすむようになったと感じ、途中から上の空になって別のことを考えていた。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『スノードロップの花束』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。