ゴールはここじゃない。決勝でオールブラックスと対戦するのだ。行けるぞ、ラグビー日本代表!

スコットランドに勝った。素晴らしい勝利だ。ある意味で、前回ワールドカップの南アフリカ戦や今回のアイルランド戦よりも価値ある勝利と言える。確かに、前回は事実上世界一の南アフリカを、そして今回は大会開始時には世界一だったアイルランドを倒したのは、世界中に日本ラグビーの独創性と規律性を知らしめ、測り知れない可能性を感じさせた。しかし、ある試合に勝つことは一過性でしかない。より重要なのは、ラグビー一流国の仲間入りをすることだ。今回、日本は見事にその仲間入りを果たした。

長い間、外国の血を引く選手がいなかった「純潔ジャパン」は、欧米人との体格差に泣かされてきた。ニュージーランド代表のオールブラックスとは、100点ゲームで負けていたし、イングランド・ウェールズ・スコットランド・アイルランドの4チームにフランスを加えた「5Nations」には歯が立たなかった。しかし、徒に敗戦を重ねていた訳ではない。その苦難の歩みを振り返ってみよう。

日本ラグビーの歴史は意外に古く、最初のテストマッチは戦前のカナダ遠征だった。しかし、何と言っても今日の日本ラグビーの礎を築いたのは大西鐵之祐である。1966年に早大監督から日本代表の監督に就任した大西は、海外列強の理論を導入していた。自宅には、原語で書かれたラグビー理論書が多く蔵書されていたという。

その豊富なラグビー理論を集約した考え方が、「接近・展開・連続」である。これは、体の大きい相手にはスペースを与えず、できる限り「接近」してプレーする。相手とすれ違いざま、接触する寸前に素早く、味方に正確なパスを通し、人もボールもワイドに「展開」する。そのプレーを「連続」させて、相手ゴールを陥れるということに起因する。

この成果が表れたのが1968年のニュージーランド遠征である。6月3日のオールブラックスジュニア戦では、坂田好弘が4トライを挙げるなどの活躍を見せて23-19で撃破するという大金星を挙げた。1971年には、イングランド代表が来日し、9月24日には、双方5度にわたる逆転劇の末に19-27で惜敗した。1974年には明治大OBの斎藤寮が日本代表の監督に就任し、4月下旬から1ヶ月ニュージーランドに遠征した。この時、オールブラックスとも対戦し、24-21で初めて勝利を収めた。