大人になってから楽しいと思うことは、映画を観ることくらいだった。

ストーリーに興味を持った映画は全て観た。それくらいしか趣味はなかったと言ってもいいくらいだ。

仕事が忙しかったし、他の趣味を持つ余裕もなかなかなかった。だから、長い休みも映画三昧にしようと思っていた。両親のいるヨーロッパに行こうかとも思ったが、面倒くさいからやめた。行ったところで、話すこともあまりないし、一人で過ごす方がまだましだと思ったから。

両親は仕事を大事にしていた。日本食レストランをヨーロッパで経営していた。何店舗も経営していたが、正確にはいくつか知らない。興味もなかったし、聞きもしなかった。あまり、親子関係が良いとは言えなかった。ただし、お金に不自由した覚えはなかった。お金を与えることが、両親の最大の義務だと思っていたようだ。

レストランが破綻したこともあった。その後、日本ではなく、ヨーロッパに仕事先を移した。今はうまくいっているらしく、メールでは良いことばかり書いてあった。

両親からのメールは定期的にあったし、私も短いながらも、元気だといつも返信していた。なので、この事態を伝えるべきか迷った。だが、お互いに遠く離れているので、両親に話したところでどうなるものでもないと思い、やめた。

私は、一人で解決せざるを得ないと心を決めた。まず、すべきことは何かと考えた。

とにかく、一つずつ、ゆっくりと思い出していくしかないのだ。だが、頭に浮かんでくるのは、あの山中で目を覚ましたときの恐怖感だけだった。そうしているうちに、具合が悪くなり、吐き気をもよおし、洗面所で吐いた。

すると、少し具合が良くなり、冷静になれた。

そのことによってある考えが浮かんだ。私が吐いたことが糸口になりそうだ、と。

吐瀉物は、昨日、私が何か食べたことを表していた。明らかに固形物を食べていた。ということは、私は誰かに眠らされたわけではなく、記憶がないだけのはずだ。吐くことは、私の何かに対しての防衛反応のはずだ。

やはり、警察に行こう。だが、警察は私が事件に巻き込まれたとは思っていない。

いや、違う。病院に行こう!

記憶がないことを話して、診察してもらおう。同じ行くなら、病院の方が確かだ。

私は、保険証を手に取ると、一番近い総合病院に急ぎ足で向かった。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『いたずらな運命・置き去り 【文庫改訂版】』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。